書影『強さの磨き方』(アチーブメント出版)『強さの磨き方』(アチーブメント出版)
二重作拓也 著

 それに対してBの問いはWhatですから、Aの手探り感を消去でき、Whatに具体的に答える形になります。本場のフランス料理を学びたい、ならば「フランスへ修行に行く」「語学を学ぶ」「航空券を調べる」「必要な経費を計算する」などの具体的な行動が導かれます。そしてゴールのみならず、ゴールから発想した過程をイメージできる、という嬉しい副反応もついてきます。

A:私が全て悪かった
B:私の○○○が間違っていた

 何かに失敗した時、人から責められることがあります。もちろん明らかに悪意のある場合、取り返しのつかない結果を生む場合、無自覚でそれをやってはよくない場合など、全てを見つめ直さなければならない場合もあるでしょう。

 一方で、そこまでではないことも結構あります。SNSが見事に可視化しているように世の中にはオール・オア・ナッシングの考え方の人、内容に関係なく非難する人、とにかく邪魔をしたい人、反対のための反対をする人も一定数います。ですから失敗した時には「お前が全て悪い」的に全否定されることがありますが、自分でも「私が全てが悪かった」と考えてしまうと「どこを、どのように、どの程度、修正すればいいのか」が、全くわからなくなってしまいます。

 Bであれば、「私の○○○」の部分にフォーカスできます。それが「方法」であれば「タイミングを見直してみよう」「準備期間をしっかり設けよう」「チームの意思疎通をはかろう」となりますし、「動機」であれば「お金を得ることばかり考えていた」「虚勢を張ってばかりだった」という具合に修正、改善につながっていきます。

 思考する言葉を変えるというのは、パソコンのOS(オペレーティングシステム)を更新するようなものです。「他人を変えるのは難しい、自分を変えるしかない」というのはたしかにその通りなのですが、「自分は変わりたくない、他人や周りを変えたい」と思ってしまうのも人間です。であるならば、「自分の使っている言葉」を「過去の私が使ってきた言葉」として、一度自分から完全に切り離し、OSを未来語にアップデートしてみるのはいかがでしょうか?