「わからなさ」と一緒に過ごしてみたら

「わからない」は、それを恐れる人にとってはネガティブな状態ですが、受け入れようとする人にとっては、とてもポジティブな状態です。そこで、ちょっと気になる「わからなさ」に出合ったら、名前も知らない花をめでるように、心ひかれた石ころを部屋の片隅に置いておくように、一緒にのんびり時を過ごしてみてはどうでしょう。そばで何度も眺めたり、反すうしたりしていると、やがて自分の中の経験が満ちて「あ、こういうことだったのか」とストンとふに落ちることがあるのです。

「わからなさ」とともに過ごす豊かさ

 私の場合、まだデザインを学び始めたばかりの頃、デッサンのクラスで言われた「吉泉君は目がいいね」という言葉がそのような体験でした。当時の私はとっさに「褒め言葉ではないな」と感じたものの、何を意味しているかまではわかりませんでした。そこで「大事そうだけど、わからない言葉」として心に留めておきました。

 そして、「当時の自分が、いかに目の前のモノの写実的な再現にしか注意を向けていなかったか」に気付いたのは、デザイナーとして10年以上経験を積んでからの話です。同時に、自分の中の「わかる」のキャパシティーがいつの間にか大きくなっていたことにも気付くことができました。