2月24日から3月4日まで、選抜チームは米国ロサンゼルスで過ごした。早稲田大野球部にとっては、13回目の米国遠征。コロナ禍の影響で延期を余儀なくされ、9年ぶりの太平洋越えとなった。5年目を迎える小宮山悟にとっても、監督として初の海外キャンプである。

 出発前に小宮山が野球部のホームページに寄せた公式コメントを引く。間然するところのない名文である。

数多くの日本人選手が海を渡ってMLBでも活躍することが当たり前になった現代において、日本の一大学である、我々、早稲田大学野球部がこうして米国と関わりを持ち続けられるのも、ひとえにご支援、ご尽力いただきました関係各位のおかげでございます。ロサンゼルス・ドジャースのオーナーであった「ピーター・オマリー氏」、全米大学野球史上最も勝利した監督であり、『20世紀最高の指導者』と謳われた南カリフォルニア大学の名将、「故ロッド・デドー氏」、このお二方と親交の深かった弊部元監督の故石井連藏氏の薫陶を受けた私が、こうして母校の野球部を率いて、米国・ロサンゼルス遠征をできることへの喜びはひとしおであります。

 新チームが動き出して間もない今年1月末の時点で、「これまでで一番良いチーム」と監督は目を細めていた。投打ともに戦力充実。守備陣の層も厚い。リーグ戦春秋連覇も十分に射程にあり、確かな手ごたえを感じていた。寒風の吹く東伏見での猛練習を経て、勇躍ロサンゼルスへたったのだった。

 ところが。雨にたたられてしまう。

 2月のカリフォルニアは雨期に当たるものの、ロスに連日のように雨雲がかかるのは珍しいという。早稲田大野球部にとっては不運なタイミングだ。そのせいで、地元大学と組まれていたオープン戦3試合のうち2試合が中止となってしまった。

 早稲田ナインは室内練習場で汗を流した。晴れ間が出てもぬかるんだグラウンドを使うことはできず、室内練習を余儀なくされる。それでも地元の少年少女が集う野球教室に参加するなどイベントは盛りだくさん。ロス入り5日目にようやくグラウンドでの練習がかなったものの、ナインが恨めしげに空を見上げる日々が続いた。

 そして6日目も朝からの雨。最後に残されたカリフォルニア大ノースリッジ校との練習試合も中止の知らせが。しかし交渉の結果、変則7イニングの練習試合が成立した。

 尽力したのは稲門会(早大卒業生の交友会)ロサンゼルス支部会長の友永順平。小宮山とは大学同期の盟友、日米大学野球開催のときのキーマンでもある。いったん中止となった決定が覆ったのは、彼の機転と粘り強い交渉力のたまものだと小宮山は言う。

「練習でシートノックを見せたんです。日本野球のシートノックのレベルは世界一。アメリカの大学生から見ても、ほれぼれするくらいすごいもの。『このチームとなら、ぜひ試合をやってみたい』と彼らに思わせるアイデアだった」