それが図に当たり、試合をやろうという運びになった。その練習途中で雹(ひょう)!が降ってきたものの、開始時間にはなんとか晴れて、練習試合がかなった。これに早稲田は10-2で快勝した。
「ほんとうに良かった。この試合ができなければ……厳しかった」
そう小宮山監督はしみじみと語ったのだった。
最終日の7日目は午前中に練習をしてドジャース球場見学、そして深夜12時のフライトで西海岸を後にした。
チームは成田空港に着いたその足で沖縄へ飛んだ。東伏見へ戻る間もない強行日程だが「時差ボケを感じる暇もないほど忙しいほうがいい」と小宮山監督。その言葉どおり、選手たちは目を輝かせたままで沖縄入りしたのである。
話は前後する。2月24日、早稲田大野球部一行は午前6時にロスに着くと、真っ先にアイク生原氏のお墓参りへ行った。2002年に野球殿堂入りしたアイク生原は1954年卒、亜細亜大監督を務めるなどした後に単身渡米。ドジャースのピーター・オマリーの下、雑用係から身を粉にしてアメリカ野球を吸収し、野球のオリンピック正式種目化に尽力した。いわば、学生たちにとっては偉大なご先祖である。そして朝食を取り、ロッド・テドー氏の墓前に手を合わせた。
雨にはたたられたものの、こういったことこそが得難い体験なのだと思うのである。