――蟹工船はどれもボロ船だった。労働者が北オホツックの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでもいゝ事だった。資本主義がきまりきった所だけの利潤では行き詰り、金利が下がって、金がダブついてくると、「文字通り」どんな事でもするし、どんな所へでも、死物狂いで血路を求め出してくる。そこへもってきて、船一艘でマンマと何拾万円が手に入る蟹工船、――彼等の夢中になるのは無理がない。

航海法も工場法も適用されない地獄で
「愛国心」にすがり耐える労働者たち

 冷凍保存技術のなかった当時、蟹は獲れたそばから船上で缶詰になった。蟹工船とは文字通り「工船」であるから航海法は適用されない。と同時に純然たる工場でもないから工場法も適用されない。今で言えば歪んだ経済特区のような空間で、資本家は搾取し放題となる。だが、この過酷な労働を支えたのは鞭だけではない。「愛国心」という甘美な飴によって人々はこの地獄を耐えようとした。

「――仕事の性質が異うんだ。いいか、その代り蟹が採れない時は、お前達を勿体ない程ブラブラさせておくんだ。」監督は「糞壺」へ降りてきて、そんなことを云った。「露助はな、魚が何んぼ眼の前で群化てきても、時間が来れば一分も違わずに、仕事をブン投げてしまうんだ。んだから――んな心掛けだから露西亜の国があゝなったんだ。日本男児の断じて真似てならないことだ!」
 何に云ってるんだ、ペテン野郎! そう思って聞いていないのもあった。然し大部分は監督にそう云われると日本人は矢張り偉いんだ、という気にされた。そして自分達の毎日の残虐な苦しさが、何か「英雄的」なものに見え、それがせめても皆を慰めさせた。
 甲板で仕事をしていると、よく水平線を横切って、駆逐艦が南下して行った。後尾に日本の旗がはためくのが見えた。漁夫等は興奮から、眼に涙を一杯ためて、帽子をつかんで振った。――あれだけだ。俺達の味方は、と思った。
「畜生、あいつを見ると、涙が出やがる。」