人間にとって100%確実なのは
「死ぬこと」だけ

 私がまだ幼かった頃の日本。世の母親たちは、我が子が大人になるのが当たり前だと思ってはいませんでした。5歳のかわいい盛りに寿命が尽きてしまう。そんな子どもがたくさんいた時代です。私の祖母などは、10人の子どもをもうけましたが、そのうち成人して祖母の葬式に出ることができたのは4人だけです。半分以上は親よりも先に旅立ってしまった。だからこそ母親たちは、今、目の前にいる我が子に精いっぱいの愛情を注いだのです。この子が20歳を迎えられるかどうかわからない。早くに寿命がやってくるかもしれない。だから今、生きている瞬間を精いっぱいに大切にする。そういう覚悟のなかで暮らしていたのでしょう。

 現代では、子どもが大人になるのは、当たり前と考えています。「今、一生懸命に勉強しておけば、いい大学に行けて、いい会社に就職できるのよ」。小学生にも満たない子どもにそう言い聞かせているのは、子どもが必ずすくすくと育って、大人になるということが前提にあるからでしょう。

 しかし、その前提は100%ではありません。人間が自然の存在である限り、いつどうなるかはわかりません。突然の病や不慮の事故も十分に起こりうる。

 人間にとって100%のこととは、死ぬこと以外には一つもないのです。何も「どうせ死ぬんだから」と投げやりになれということではありません。恐る恐る生きる必要もない。ただ、常に覚悟を心に持って生きることです。不確定な未来に軸足を置くのではなく、今という時間に軸足を置くこと。今日という日、目の前の小さな命に心を寄せることです。

 現代社会は死が遠ざかっています。今の日本の若者たちに「信仰する宗教はあるか」と聞けば、8割が無宗教だと答えます。それは彼らが本気で生死を考えたことがないことと無関係ではないでしょう。生きていることが当然だと考えていると、神や仏を信じる気持ちは生まれにくい。自分はこの先何十年も生きると信じ、自分の親さえも、まだまだ長生きできると勝手に思い込んでいる。そんな思考のなかからは、生きる覚悟は生まれません。