イノベーションを生みだすことと子育ての関係

イノベーションにつきまとう倫理的な問題をクリアするために必要な姿勢とはchepilev / PIXTA

 ロベルト・ベルガンティは『突破するデザイン』の中で、次のように書いています。

“親は子どもの人生において、その人生の意味の探求をサポートするという重大な役割を担っている。(中略)それはたぶん、親としての自分自身から、子どものためによいと思うことについて、深く考えることから始まる。子どもがキャンディを望むなら、おいしいだけでなく、より健康的なものを与えることを考えるだろう。”

 この後に、フィリップスデザインでCEOを務めたステファノ・マルツァーノの言葉も続けて紹介しています。彼は父性について語っています。

“「私たちは市場の要求に単に従うのではなく、新しいビジョンを提供します。私は良い父親をメタファーに使っています。父親とは子どもたちが望むものをただ与えるのではなく、より意味のあるものを与えます。父親はビジョンを追求しているのです」”

 意味のイノベーションは新しい地平を探します。誰もが手探りです。はっきりと描かれたルートなどありません。それは子育てを想起させます。

 全ての親が子育ての素人である、という事実には誰もが同意するでしょう。仮に子育てに右往左往することなどないとうそぶく人がいれば、その言葉は大いに疑っていいはずです。子どもが意味のある人生を模索するために、最良の環境条件を考えるのが親の務めです。少なくとも親はそう任じているからです。しかし、何十年も先の世界の姿を予想しながら、子育てを行うことは困難です。親は常に任務を果たすために最善を尽くす必要がありますが、完全な確信を持つことはできないのです。

 それでも、子どもが生きるために必要だと思う判断基準を作るに当たり、側面から援助しようとする。それが親の姿勢でしょう。たとえ親の自己満足だと評されようが、そうするしかない(または、そうしたい)。その姿勢を支える一つが倫理だと思います。

 この親のメタファーは倫理というかなり厄介な話をはっきりとさせてくれます。「はっきり」というのは、話の輪郭が鮮明ということではありません。前述したように、法律のように箇条書きで明文化できるものではないとはっきり伝えているという意味です。倫理は個別のケースに対する生身の人間の感情も入り込んだものです。それは倫理の持つ硬直的でネガティブな性格を表しているのではなく、柔軟でポジティブな性格を表していると解釈するのが妥当です。本連載7回目で書き言葉で考えを固定化しない重要性について触れましたが、倫理についてもまったく同様のことがいえるのです。

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