カタコンブ・ド・パリの誕生
カタコンブ・ド・パリは、今はパリ市内になっていますが、当時その場所はパリ市外でした。採石場も15世紀までは運用されていましたが、その後は放置されていた場所でした。
最初の遺骨搬出は1785年から1787年にかけて行われました。作業はパリ市民や教会の批判的な反応を避けるため夜間に行われました。遺骨の搬出はフランス革命後の1814年まで続けられ、サントゥ・スタッシュ教会、サン・ニコラ・デ・シャン教会、ベルナルダン修道院など、パリ中心部の教会墓地も対象となりました。さらに1840年から再び納骨作業は再開され、当時のセーヌ県知事ジョルジュ・オスマンが進めたパリの都市整備事業「パリ改造」の際にも、遺骨の受け皿となりました。
カタコンブ・ド・パリ自体は、1809年から一般向けに公開され、瞬く間に人気になりました。時の為政者などもカタコンブ・ド・パリを訪れていて、1787年にはアルトワ伯爵(後のシャルル10世でブルボン王朝最後の国王)、1814年にはフランツ2世(神聖ローマ帝国最後の皇帝)、1860年にはナポレオン3世がカタコンブ・ド・パリの階段を降りています。