世襲議員は、政界でキャリアを重ね、閣僚・党幹部になるのに有利である。第二次岸田改造内閣が2022年8月に発足した際、親族から直接地盤を継承した「純粋な世襲議員」は閣僚20人中9人だった(その後、閣僚辞任によって7人に減少)。また、平成元(1989)年以降の歴代首相の7割が世襲議員である。
だが、世界の中では、世襲議員は当たり前の存在というわけではない。米国議会における世襲議員の比率は約5%にすぎない。ブッシュ家、ケネディ家などは少数派である。
英国では世襲議員はほぼいない。下院議員の約7割が、生まれ故郷でも職場でもない選挙区から立候補する「落下傘候補」である。保守党、労働党など各政党では、「公募」を実施して候補者を決定する「実力主義」が貫かれている。
世襲議員の全員がダメだというつもりはないが、その能力や言動に批判があるのも事実だ。そこで今回は、日本で世襲議員が多い理由と、その背景にある問題を考えたい。
実力者が成り上がる
昭和の「閨閥」システムとは?
平成以降、世襲議員が首相になることが多くなったが、それ以前は違っていた(本連載の前身『政局LIVEアナリティクス』の第23回)。
昭和の時代に活躍した首相の初当選年齢とキャリアは、以下のようなものだった。
・池田勇人氏:49歳(1期目に蔵相就任)
・佐藤栄作氏:47歳(当選前に官房長官、1期目に自由党幹事長、郵政相)
・岸信介氏:45歳(戦前に商工相などを歴任、戦後に公職追放解除後4年で初代自民党幹事長)
・福田赳夫氏:47歳(4期目に政調会長、幹事長)
・大平正芳氏:42歳(5期目に官房長官)
こうした経歴を見ると、当時の日本では、財界・官界で出世した人物が40代以降に初当選し、即幹部に抜擢(ばってき)される実力主義だったことがうかがえる。
ただし、この実力主義は「条件付き」であり、必ずしも世襲と無縁というわけではなかった。
というのも、当時の総理には、ビジネス界や皇族などのそうそうたるメンバーと血縁・婚姻関係を結び、「閨閥(けいばつ)」と呼ばれる親族関係を形成している人物が多かった。
歴代総理の縁戚関係をたどると、日本を代表する財閥である三井家や住友家、ブリヂストン創業者の石橋一族、森コンツェルンの森一族、昭和電工の安西一族、住友銀行元会長の堀田一族、日本郵船元社長の浅尾一族、そして天皇家などに行きつく。
当時の首相の多くは、本人が名門家系の令嬢と結婚するか、自身の子供を名門家系と結婚させることで縁戚関係を築き、「閨閥議員」として権力を握ったのだ。