同じ内容の話なのに「わかりやすい人」と「わかりにくい人」はどの職場にも存在する。『頭のいい人が話す前に考えていること』を上梓した安達さんは、コンサルタントとして3000社1万人ものビジネスパーソンと対峙してきた。その中で「あの人頭いい」と信頼されている人は間違いなく「話のわかりやすい人」だったと言う。本記事では、「話のわかりにくい人」と「話のわかりやすい人」を分ける根本的な考え方の差をお伝えする。
話がわかりやすいのは、「生まれつき」か「訓練」か
コンサルタントとしてたくさんの人と会う中で、「話のわかりやすさ」にはかなり個人差があると感じていた。
なぜ、話のわかりやすい人と、わかりにくい人がいるのか?最初はよくわからなかった。
「生まれつき」なのか?「訓練」なのか?
しかし、あるとき、要は「サービス精神」のちがいなのではと思うようになった。
巷には色々と「話し方講座」があふれているが、細かいテクニックよりも、結局のところ「相手の立場から自分の話をとらえることができるか」ということに尽きる。
むしろ、話し方のテクニックを駆使しても、一見「話がうまい」ように見えるかもしれないが、本質的には「話がわかりやすい人」にはなれない、と言ってもいい。
周りから「頭がいい」と称されている人は皆、意識的か無意識的かは別にして「自分の話を客観的にとらえる」ことをしていた。つまり、相手が理解できるかどうか、瞬時に判断して、相手がわかるように変換して話すことができるのだ。
世の中には、数多の「話し方本」があり、ネットで検索しても、話し方のテクニックは数多く存在する。
これらのテクニックを、「自分の話が相手はどう受けとるか」を考えられる人は、状況に応じてうまく使いこなせる。
退屈そうか? この単語はむずかしい? 聞きたい話はこれではなかった?
サービス精神のある人は、これらを自然に察知しながら、相手に合わせて話し方を変えられる。
一方で、話のわかりにくい人は、極端に言えば、自分の話したい話をしたいだけして終わる。
自分の話が「想像以上にウケがよくなかった」というのは、よくある話だ。
また、「何言っているかわからない」と言われた経験がある人も少なくないだろう。
そういう人は、話す前でいいので、「サービスする」ことを意識してみてはいかがだろうか。