サイエンスというのは
望遠鏡のようなもの

高野 先生のお話を聞いていると、先生は科学的ではないことにすごく興味がある印象です。

 科学者やエンジニアには、実はそういう人はかなり多いのではないでしょうか。近くのものを見るには裸眼で十分ですよね。遠くのものを見たいとなったとき、誰かが望遠鏡を発明する。これは便利だとなっても、近くのものを見るためにそれを使ったら変ですよね。

 サイエンスというのは、望遠鏡のようなものです。我々の裸眼や常識で見えないものを見るために皆で作り上げた一式であり、それをつかさどっているのがたまたま科学者やエンジニアというだけで、ほかの人たちより特別な知識を持っているかというと、そんなことは全然ない。ツールを使って時間を短縮している分、もっとだめなんですよ(笑)。自分の目で見て調べている人がきちんとした人。

 サイエンスはそういうものなので、特別なシチュエーションで使うべきものであり、万能ではありません。「科学は万能だ」という理屈で世の中全部できていると考えると、あまりいいことはない。

 星の世界はこう動いている、では、世の中すべてそう動いているかとなると、意外とそうでもなさそうだ、それはなぜなのか――? 高野さんのように世界を回ってみると、科学では見えないその土地のメモリがあるかもしれない。私はそう感じます。

 サイエンスというのは、人間の知のひとつの経過だと思うのです。今知っているサイエンスは完全ではなく、次々と新しいことがわかってくる。サイエンスはそういう限定的なものだと考えるほうが正しいのではないかと思います。

「厳密さ」を担う作業は
AIよりも実は人間が得意?

 人間の知の今後を考えると、今はビッグデータがありますね。統計的に無機質なデータ。これはただの道具であり、そこから先は質的な研究が必要です。

 データサイエンスの上に文系が乗ってくると、結構新しいことがわかったりするんですよ。そうした研究の方法で2000年代のアメリカの政治の混乱を当てて注目された学者もいます。その人は、殺人率の推移や、大学の入学費など、思いもしないデータを組み合わせて、そこに相関関係を見いだして総合的に国の勢いを予測する。

高野 なるほど。文系が調べてそれを理系が裏付けるというケースではなく、ベースがデータとなり、そこに文系が乗ってくると。

 そうですね。そうなると、理系も文系もハッピーになれますね。

 今、ディープラーニングから出てきた「ChatGPT」がかなり話題ですが、ChatGPTというのは、Web上に存在するあらゆるテキストをネタにして、人間のように質問に答える機械です。人間がWikipediaを90年間読み続けるほどの情報量をベースに、ものすごい計算量で、質問に対して瞬時に答えを出す。

 これが進化していくと今後は、我々の仕事はかなりの部分が出番が不要になっていきます。理系が、文系が、といった問題ではなくなってくるんですね。データベースは必要ですが、その上に乗ってくるのがChatGPTに置き換わる。

「知識が豊富で全体的に判断する」ような仕事はChatGPTに置き換わっていくかもしれません。大学の教員も「ChatGPT先生のほうがわかりやすいよね」となる可能性もある。我々の実存的危機ですよ。医者も、病理診断を行う病理医は置き換わるかもしれませんが、執刀医は置き換わらないでしょう。

対談風景

高野 そうなると、ライターも危ういですね。

 でも高野さんのような、現地に行って1次情報を取ってくる探検家は生き残るのではないでしょうか。

高野 もともと僕は頭脳だけではやっていけないので、体を使って現場へ行こうと。なので、最初からその発想に近いかもしれません。

 今まで誰も見ていないものを探す。見る。そういうのは間違いなく残るでしょう。ChatGPTに聞いてもわからない。

高野 ChatGPTって、情報源が曖昧ですよね。情報源を尋ねてみると、元のサイトが消えていたりして。

 ChatGPTというのは、ある言葉がくると、その次に何の言葉が来やすいか、というのをデータベースから覚えていて、確率的にそれを出すんです。なので、もともとのデータベースにその情報がないと、適当につくってしまうんですよ。Webから情報をあさってきて、その情報が見つからないと、勝手につくってしまう。

 例えば、「5×3は?」と聞けば正確な答えを出してくれる。でも少し複雑な、4ケタ同士の掛け算とかになってくると、元のデータ、つまりWeb上に答えがなかったりする。そうするとどうするかというと、似たようなデータをWeb上から引っ張ってくるんです。なので微妙に数字を間違えている。つまり、計算をしているわけではないんです。

 それが根本で、ああいったタイプのAIは、まともに計算をしない。類似のものを探してそれを言うだけです。「ChatGPTがあれば物理はもういらないね」という人もいますけれど、確かにだいたいは(ChatGPTは)答えられるかもしれないけど、精密な答えを出すことはできない。なぜなら、データベースには似た論文が膨大にあって、キーワードを頼りに答えに合うような論文を探して、そこから取ってきているためです。

 答えの精度を上げようとすれば、AIがものすごく計算をしなければならない。それならば普通に方程式から人間が計算したほうが早いんです。

 世の中で何となく判断されているようなものは、次々とAIに置き換えられていきますが、精度を要求されること、ちょっとでも間違えると人間に危険が及ぶようなこと、こういったことはまだすべてをAIには任せられなくて、「厳密さ」を担う作業に関しては、当面は人間がやるしかないと思うんです。

 もちろん、これまでの人類の英知の蓄積をきちんとしたデータベースにして、それだけをAIにくわせれば、精度の高い答えが返ってくるでしょう。

高野 逆かと思っていました。厳密さは担う作業はAIが得意なのかなと。

 科学に還元できなかった我々の「勘」のような部分は、これまで人間がたくさん記録に残してきました。それが膨大なデータベースとしてWeb上に存在している。ChatGPTはそこからもっともらしい答えを弾き出しているんです。

 そう考えると、我々の思考や行動のかなりの部分は、どれだけ経験を積んでも長い歴史の中で、類似のことをやっているだけではないのかと、怖くなることがあります。人間が優位だった「質的な判断」のほうがAIに置き換わってしまう。我々は複雑なことをしているようで、わりかし限定的な行動をしている。それをChatGPTに見抜かれているのではないかと。

 学問の世界はこれから大変だと思います。歴史学や文学の研究というのは、数値、数理で置き換えられてしまう部分が多いかもしれない。地球は太陽を規則的に回っているといいますが、こうした自然界の法則の中には、「歴史」も含まれている。そのため、方程式で表すことができる。

 我々は実は星屑なんですよね。宇宙ができて、何十億年か前に水素が爆発して、最初の星が生まれ、その星の中でさまざまな元素ができた。その星が死んで散らばって雲になり、それが集まって固まり、太陽系の星が生まれ、地球もできた。

高野 我々は星の残骸を数え切れないくらいリサイクルしてできている。