三島由紀夫が「戦後に書かれた最も重要な小説の一つ」と称賛した、北杜夫の作品とは?『楡家の人びと』新潮文庫

 関東大震災における朝鮮人虐殺の風景も、もちろん描かれている。

 そんな時刻なのに東京方面に急ぐ人たちが大勢いた。すでに朝鮮人暴動の流言がとびかっており、線路の上を十人二十人と隊伍(たいご)を組んで歩いた。

(中略)

 夜はまだすっかり明けきってはいない。しかし辻々(つじつじ)に人が群れている。異様に殺気立った雰囲気(ふんいき)がひしひしとこちらにまで伝わってくる。人々は手に手に竹槍(たけやり)も持ち、抜身(ぬきみ)の大刀を地に突き刺している者もある。次の辻では、二人の若者が│あれが朝鮮人だなと城吉はちらと思ったが│かなりの群衆の中に捕えられており、こづかれたり罵言(ばげん)をあびせられたりしている。

 城吉たちも尋問を受けた。(中略)昂奮をむきだしにした青年団の若者がうさん臭げに城吉を見、城吉はぶ厚い唇(くちびる)を閉ざしたまま思いがけぬ恐怖の念に駆られた。そしてそれは、やがて路傍に生々しい死体が投げ捨てられているのを見たとき頂点に達した。死体は地震によるものではなく、一瞥(いちべつ)で刺殺されたものと理解できたからである。

 小説の中の話であるから、これを以て真実だと言いたいのではない。だが私たち作家は書き継がねばならない。そのとき何が起こったかではなく、人々がそこで何を感じたかを、何を思ったかを。

 第一部の主人公、楡基一郎(きいちろう)は破天荒な性格で、そのいささか調子のよすぎる陽性の行動が全編で余すところなく描写されていく。

 そんな朝っぱらから院長がやってくるのが見えた。基一郎は近づいてくると、実に愛想のよい笑顔を見せて声をかけた。

「いや、ご苦労、ご苦労」

 それがあまりにも優しい口調だったので、同時に基一郎はすこし顔を上むけて頤(あご)でものをいう癖があったので、書生は半分気がとがめ、半分腹を立ててこう言った。

「ご苦労って先生、ぼくはなんにもしちゃいないのです」

「いやいや君、朝早くからそうやって廊下を歩いていてくれると、病院には活気がでる。

いかにも繁昌(はんじょう)しているように見える。いや、ご苦労ご苦労」