芸術性の高い「純文学作品」は基本的に売れないと言われます。しかし、「芥川賞」は、純文学を大衆に届かせる力があります。芥川賞の受賞作には100万部以上に達したミリオンセラーが複数あります。歴代の芥川賞全作品を読み尽くし、今年『タイム・スリップ芥川賞』という本を著した菊池良氏が「たくさんのひとに読まれる純文学」とはどんなものかを紹介します。(構成:編集部/今野良介)
純文学をヒット商品にする「芥川賞」というシステム
芥川賞は、作品を、作品のまま商品として市場に流通させます。それは市場への「侵入」と言ってもいいかもしれません。
芸術性の高さと商品性の高さを同時に達成する稀有な文学賞が、芥川賞なのです。
この記事では、ミリオンセラーになった芥川賞5作のあらすじと、多くの人に受け容れられた背景を紹介します。
柴田翔『されどわれらが日々──』
柴田翔の『されどわれらが日々──』は、1964年上半期の芥川賞を受賞した作品です。
主人公は、東京大学の大学院生である大橋。大橋は学生運動から距離をとっていましたが、恋人の節子はかつて運動に関わっていました。
大橋は、古本屋で手に入れた全集をきっかけに、行方不明になった佐野という男を探します。佐野は共産党員で、国鉄に就職したあと行方がわからなくなっていたのでした。
1960年代は「政治の季節」とも呼ばれ、各地で学生運動が盛んになっていました。そんななかで揺れ動く若者たちの苦悩と挫折を描いた青春小説で、1971年には映画化もされました。
作者の柴田翔は、東京大学を卒業し、ゲーテの研究のためにドイツへ留学などしていたドイツ文学者でした。同人誌に発表した『されどわれらが日々──』が雑誌『文學界』に転載され、芥川賞を受賞しました。その後、東京大学の教授にも就任し、『ゲーテ「ファウスト」を読む』などの著作があります。
『されどわれらが日々──』が発表された1964年、大学では若者が主義主張を訴える学生運動が盛んになっていました。しかし、それは同時に挫折と表裏一体でもありました。
理想に燃えている若者たちも、いずれ社会と折り合いをつけることが運命づけられています。そんな時代に揺れ動く若者たちの青春と挫折が多くの人々の心を掴んだのです。
村上龍『限りなく透明に近いブルー』
村上龍は『限りなく透明に近いブルー』で、1976年上半期の芥川賞を受賞しました。
この作品は、米軍基地の近くでロック音楽やドラッグに耽溺する快楽的な若者を描き話題になりました。文芸評論家の江藤淳には「サブカルチャー」だと評されましたが、ベストセラーになっています。1953年には、作者自らの監督で映画化もされました。
村上龍は武蔵野美術大学中退。『限りなく透明に近いブルー』で群像新人賞を受賞し、同作で芥川賞受賞。その後も『コインロッカー・ベイビーズ』や『半島を出よ』など話題作を出しつづけています。また、初期から「経済」をテーマに据え続け、企業家との対談や経済番組への出演なども務めています。
『限りなく透明に近いブルー』が発表された1976年、日本は高度経済成長を果たし、「政治の季節」は終わり、豊かな社会を築こうとしていました。アメリカのポップカルチャーが盛んに輸入される、先端的な若者たちはアメリカ文化を浴びるように享受していました。そんな若者たちの風俗を鋭く切り取ることで、村上龍は文学に新風を巻き起こしたのです。
しかし、村上はただ享楽的な若者を描いただけではありません。同時に、米軍や警察といった絶対的な権力も小説のなかには織り込まれています。
このような社会の二重性を暴くことで、『限りなく透明に近いブルー』はセンセーションを起こしベストセラーになったのです。
綿矢りさ『蹴りたい背中』
綿矢りさの『蹴りたい背中』は2003年下半期の芥川賞を受賞しました。金原ひとみの『蛇にピアス』と同時受賞でした。
『蹴りたい背中』は、学校に馴染めないでいる主人公のハツが、同じく浮いているクラスメートにな川との交流を描いています。お互いクラスで浮いているふたりが、オリチャンというモデルを接点にして、ふしぎな関係性を築いていきます。
綿矢りさは17歳のときに『インストール』で文藝賞を受賞(当時最年少)。大学在学中の19歳のときに『蹴りたい背中』で芥川賞を受賞し、最年少記録を更新しました。その後、『かわいそうだね?』で大江健三郎賞、『生のみ生のままで』で島清恋愛文学賞を受賞。多くの作品が映画化されています。
1980年代にポップカルチャーが爆発的に発展して以降、個人の趣味やライフスタイルはどんどん多様化していきました。
そのような時代に、最後に残った共通体験は「学校」です。『蹴りたい背中』における学校生活での孤独に、同年代は共感し、かつて高校生だった人たちは懐かしさを覚えたでしょう。
又吉直樹『火花』
又吉直樹の『火花』は、2015年上半期の芥川賞受賞作品です。羽田圭介の『スクラップ・アンド・ビルド』と同時受賞でした。
『火花』は、売れないお笑い芸人の徳永と、彼が尊敬する先輩芸人の神谷との関係性を描きます。くすぶっているふたりの若者は蜜月のときを過ごしますが、次第にその関係は変わっていってしまいます。
又吉直樹は1980年生まれのお笑い芸人。お笑いコンビ「ピース」のボケ役として活動しながら、読書好きの芸人として文筆活動をしていました。
2015年に純文学の中編作品「火花」を雑誌へ掲載し、またたく間に話題となり芥川賞を受賞。その後も芸人活動と並行しながら『劇場』『人間』と創作活動をつづけています。
豊かになった社会で、若者たちは上京し夢を追います。お笑い芸人やミュージシャン、俳優といった表現者を志す若者は少なくありません。とりわけ現代は「お笑い」というカルチャーがテレビを通じて大衆文化として広く浸透した時代でもあります。
『火花』は作者の又吉さんが現役のお笑い芸人であることから、その描写には臨場感があります。青春の普遍的な熱さ、痛さ、ほろ苦さを現代的な「お笑い」という文化を通して描いたことで、『火花』は熱狂的に迎えられました。
村田沙耶香『コンビニ人間』
村田沙耶香の『コンビニ人間』は、2016年上半期の芥川賞受賞作品です。
コンビニに勤務する独身女性を主人公にし、現代社会の人間関係やコミュニケーションのあり方を描いています。うまく社会に適応できない主人公は、便利で無機質なコンビニでこそ社会との接点をつくれるのです。
村田沙耶香は1979年生まれ。2003年に『授乳』で群像新人文学賞の優秀作を受賞してデビューしました。
自身のコンビニ勤務経験を活かした『コンビニ人間』で芥川賞を受賞し、受賞時点でもコンビニで勤務していることが話題になりました。
同作は英語やフランス語、ドイツ語など各国語でも翻訳され、高い評価を受けています。
現代では、コンビニはインフラ的な存在として全国に張り巡らされています。コンビニは便利で、無機質な、現代社会を象徴するような場所です。全国どこにでもあり、並べられている商品も同じで、そこからは土地や血縁といった濃い関係性が排除されています。
しかし、そんなコンビニというどこにでもある無機質な場所が、『コンビニ人間』では豊かなコミュニケーションの可能性をふくんだ場所であることを活写しています。
コンビニの便利さを享受しながら、どこか寂しさも感じている現代人の心理を掴んだのです。
芥川賞は時代を写す鏡である
このように並べてみると、芥川賞は時代を写す鏡でもあることがわかります。
作者の意図にかかわらず、その時代の空気をきわめて高いレベルで作品に昇華した小説が芥川賞を受賞するのです。
このような祭典が半年に一度行われ、しかも90年近くつづいています。これはとても豊かな文化だと、わたしは思います。
純文学を読んだことがないというかたは、まず芥川賞を手にとってみてはいかがでしょうか。