おじさんが決起しないのはなぜ? 「世間様に迷惑かけたくない」

 映画『クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』(2014年)では、家庭で虐げられた父親たちが決起して組織化し、女性専用車両を乗っ取るなどのはちゃめちゃを繰り広げるという展開がある。

 しかし、現実ではおじさんたちは決起しない。これはなぜか。理由はいくつか推測される。
 
・おじさんが被っている「おじハラ」は、実はそこまで深刻ではない。
・他の部分で優遇されている・社会的に満たされているので決起に至らない。
・ケンカしたくない。
・男性に与えられた不利な性役割を自覚できないくらい、男性は被虐に慣れきっている。
 
 最後に挙げたものは個人的にはやや大げさに感じるが、こうした危機感を持つおじさんもいるようである。
 
 筆者が「おじさんが決起しない理由」として推したい説は、「おじさんは謙虚」である。

「忌みおじになって嫌われたくない――」という思うより先に、「世間様に迷惑をかけたくない」と願い生きているおじさんは多い(筆者のように、開口一番に「おじさん」を自称してへりくだり、相手の風下に立とうと試みるおじさんが多いことはその証左である)。

 おのれの魂に内在する「忌みおじ」という名の鬼を決して目覚めさせることがないように、封印の札を用心深く貼り直し、一心不乱に封印の念仏を唱え続ける……これが謙虚なおじさんたちの魂の姿である。
 
 さて、ここまで書くと、まるで悲愴(ひそう)感しか漂わないように見えるおじさんの魂の姿であるが、実際はそこまで救いがないものでもない。

 おじさんにはその年齢まで生きてきた老獪(ろうかい)さと明るさが備わっている。「忌みおじ」はひどい自称だが、それを名乗れるのがちょっと「おいしい」と思える余裕もある。
 
 肩が上がらなくなったり白髪が増えてきたり……と、諦めて受け入れなければならないことが増えてくると、力もいい具合に抜けてくる。この脱力した流木の構えで、おのが内の「忌みおじ」にだけ目を光らせつつ、日々を明るく過ごすうちにやがて「おじいさん」になれればなあ――と思う今日この頃である。