この諜報ネットワークは、宗矩が三代将軍家光の下で初代の幕府惣目付(そうめつけ)(のちの大目付)を務めていたころが、もっとも機能したものとみられている。惣目付とは全国の諸大名の行動を監視する役職で、いわば諸大名にとっての天敵だった。

改易理由となり得る藩の秘密を握る

 もちろん、この柳生の諜報ネットワークについては、その存在が史料によって裏付けられているわけではない。しかし、柳生家が代々諜報活動に長けていたこと、宗矩が門弟を各藩に派遣できる立場にあったこと、宗矩が初代幕府惣目付を務めたこと──など状況証拠から推して、諜報ネットワークは実在したと考えるほうが自然である。

 それになにより、宗矩がそば近くで仕えた二代秀忠と三代家光の2人の時代だけで108家もの大名家が改易に遭っているのだ。たとえその標的は外様大名が中心だったとはいえ、幕府としてはほかの大名家や世間を納得させるだけの改易理由が必要だったはずである。

 そうした改易理由となり得る幕府に知られたくない藩の秘密情報(たとえば藩主の乱行とか跡継ぎ問題とか重臣同士の派閥争いとか……)をいち早く全国から集める体制が整っていたからこそ、あれほど大量の取り潰しが可能だったのだ。そして、幕府の手先となってその情報収集にフル回転したのが、柳生の諜報ネットワークだったに違いない。