パーパスとはなにか──「中年の危機」から抜け出す“北極星”

 一方で、多くの人が気になっているのが、近年に注目を集めた「パーパス」の存在だろう。じつのところ、「企業のライフサイクル」という補助線を入れてみると、日本においてパーパスが注目を集めている背景もよく見えてくる。

 規模が大きくなり「できること」が増えてきた壮年期企業は、自ずとその能力を使って事業の範囲を広げようとする。多くの場合、事業の多角化が起こる。祖業とは違うドメインの事業をやったり、M&Aなどでいろいろな組織を吸収したりすると、1つの会社のなかにそれまでとはまったく違う事業・人・組織が共存することになる。結果として、従来のビジョン・ミッション・バリューの焦点がボケてきて、組織文化も曖昧になってくる。

 そういうバラバラの個人や組織を束ねるためには、どうしたらいいのだろうか?

 さしあたって有効なのは「成長」だ。企業が成長している限り、組織のアイデンティティ(同一性)をめぐる問題は表面化してこない。成長は資本主義における善であると同時に、組織の同一性という課題を解決する万能薬だ。そのため、いつのまにか成長こそが組織にとっての「絶対善」になっていく。

 しかし、会社の成長はいつまでも続くわけではない。人間で言えば40~50歳ころ、成長がひと段落したときに起こるのが「中年の危機」だ。30代まではひたすらさまざまな仕事を経験し、自分の能力を伸ばし、経験を積めば積むほど「できること」が増える。自分の体力もあるので、やりたいことは全部やってもなんとかなってしまう。しかし、40歳を過ぎてくると、自分がなんでもできるわけではないことに気づき始める。自分の人生の目的がわからなくなってくる。

 このときに必要なのは、自分の向かう方角を定め直し、いろいろと手を広げてきたことをやめて、本当にやるべきことに焦点を絞る作業だ。これは個人のみならず、企業にとっても同じだ。ただ盲目的に成長したり、むやみやたらに事業を多角化するのではなく、その成長がなぜ必要なのか、本当に自分たちが手がけるべき事業なのかを、改めて問い直す必要が出てくる。

 パーパスが必要になるのは、この時期だ。そしてそれは、ミッションの延長線上にあるものだと言える。ミッションが自分たちの中心的な活動に焦点を当てるものだとすれば、パーパスではそれを社会の側からとらえ直したものだと言える。「私たちの組織の存在する目的はなにか? なにがなくなったら自分たちではなくなるか?」という問いに対する答えだ。

パーパスとは企業版「中年の危機」への処方箋だった

 そしてパーパスは、渡り鳥の比喩における「方向感覚」の機能、つまりビジョンのように「目指すべき方向」を示す役割も果たす。パーパスは、未来の社会において自分たちはどんな役割を果たしたいのか、なぜそれを実現したいと思うのかを表現する「北極星」のようなものである。

 人も組織も、いつかは成長が止まって自分の存在意義を改めて考え直すタイミングがやってくる。成長がすべてを癒やしてくれるわけではない。しかも現代では、必ずしも成長=絶対善ではない。

 こうしたなかで必要になるのが、パーパスなのである。日本では、多くの企業が「中年の危機」に直面しているからこそ、パーパス策定の必要性が共感を持って受け入れられたのだろう。