支店対抗野球大会はトーナメントで行われ、負けたら終わり。本店の総務部が事務局となっているが、対戦相手との調整はもっぱら両支店の若手行員がやらされていた。毎週土、日と祝日を使って、5月下旬から大会が始まる。勝ち進むと、8月にさしかかることもある。忙しい外回りの営業から帰るなり、総務部から電話が入る。

「野球大会事務局の目黒さんですよね? 4回戦の相手は茨木東支店に決まりました。グラウンドは当行の運動場になります。先週雨だったのでスライドとなり、空きは日曜日の夕方4時しかありません。よろしいですね?」

「あ、は、はい…」

 翌日の朝礼で試合の告知をする。

「支店対抗野球大会ですが、日曜日の午後4時に試合開始となりました。皆さんふるって応援よろしくお願いします!」

 朝礼の場がざわつく。

「おいおい、日曜日の夕方って何考えてんねん」

「次の日仕事やん、行きたないー」

 それはそうだろう。私だって嫌だ。あくる日は早朝から仕事。体を休ませたいに決まっている。雑用をやったことがない先輩らは、私のシキリが悪かったぐらいにしか考えていないだろう。やりたくもない調整役をやっている者の苦労など、わかるわけがない。

都内一等地に所有していた
広大なグラウンドやテニスコート

 メガバンク誕生までは、都市銀行各行とも都内の一等地や全国各地に、広大なグラウンドやテニスコート、プールやアスレチックジムを所有していた。銀行だけではない。大手商社もメーカーも同じく高度経済成長期の蓄えを誇示していた。

 試合前日は、末席の私が自分の車で出勤し、野球道具を積み込む。4回戦まで勝ち進んでいることもあり、手慣れたものだ。当日の審判に挨拶の連絡を入れる。謝礼の5000円(さすがに自腹ではない)を新札で用意し、封筒に入れる。よし、準備OKだ。

 当日。誰よりも早くグラウンド入りし、ユニホームに着替える。リヤカーを借りてきて、グラウンドへ道具を運ぶ。