どこの政党の幹部とか地元企業の偉いさんとか有名校のOBなんかより、名前も知られていない普通の庶民のほうが圧倒的に多いんです。なぜ、政党や業界の支持がないと勝てないと考えるのか、不思議で仕方がない。市民の応援だけで勝てるし、そうすることに意味があるんですから。むしろ、そういう形で勝たないと、市民に申し訳ない。

「明石のまちのために、私が勝つ必要があるんだ」と言ったら会場がしらーっとしてしまって、新聞に「泡沫候補が何を息巻いてるんだ」みたいに書かれました。

――誰の目にも明らかな劣勢をひっくり返して、明石市長になった。

 あ、ここは強調しておきたいんですけど、決して「ひっくり返した」わけではないんです。

――それは、もともと市民のほうが多い、という意味?

 はい。そこを、みんな勘違いしている。市民のために頑張ると言ってる人と、一部の人のために頑張ると言ってる人。普通に街の人に聞いたら、自分たちのために頑張るほうを応援する人が多いに決まっている。だけど、新聞やテレビが、もう勝敗は確定しているかのような報道をするから、みんなが諦める。だから、その思い込みにもとづいた結果が出てしまう。それで「あーあ、やっぱり」となるんだけど、その根本にあるのは単なる思い込みだし、勘違いなんです。

 私の場合は、出馬した瞬間に「勝てる」と確信しました。だけど、途中から先方も巻き返しを図り、票を固められていって追い上げられた。みんながみんな投票に行くわけではないですからね。市民全員が強制的に投票させられるような制度だったら、間違いなく私が勝てるんですけど、結局、お付き合いがあったり、誰かに頼まれてる人のほうが一生懸命投票に行くから。

 まちの空気感は70対30くらいで私が優勢でしたが、私たちの側で投票に行くのは4割ほど、一方相手方は9割近くが行かされる状況になりました。支持層×投票予測を比べると28対27、僅差が見込まれていたんです。それで最後には69票差まで追いつかれて、ギリギリのところで勝った、というのが実際のところです。