早い段階から発達障害だとわかっていれば、子どもを観察できる時間が多くなるため、成長に合わせて対応がしやすくなる。先生と家族が二人三脚となり息子の治療がスタートした(写真はイメージです) Photo:PIXTA
発達障害とは、先天的な脳機能の問題によって社会生活に困難が生じる疾患のことです。かつては「本人の努力が足りない」「親のしつけが悪い」などと言われていましたが、現在は医学的に否定されています。発達障害はいわば生まれつきの特性です。定型発達の子どもに比べるとペースはゆっくりですが、発達障害の子どもの心も発達を続けます。症状の改善ばかりに目を向けがちですが、優先すべきは彼らの心です。1歳半の息子さんが発達障害と診断された家族のリアルを、公認心理師・言語聴覚士の湯汲英史氏監修の『眠れなくなるほど面白い 図解 臨床心理学』(日本文芸社刊)から紹介します。併せて公認心理師からのアドバイスも掲載しました。
家族から見た「発達障害」
1歳半で診断された息子
私の息子が発達障害だとわかったのは1歳半くらいのときでした。きっかけは乳幼児検診の最中に保健師さんから言われた「耳が聞こえていないのでは?」という言葉です。たしかに、上の長女は生後9カ月くらいから話し始めていたのに比べると遅いのかな? とは思っていたのですが、この時点ではさほど気にしていませんでした。
しかし、同じ年齢の子どもたちが話す姿を見るうち次第に不安に思い、近所の耳鼻科に相談したところ、大きな病院を紹介してもらい検査することになったのです。そこでの検査はかなり大規模なもので、聴覚をはじめ、脳波などいろいろな検査したところ、耳や脳に異常なところはないと診断されます。そこから小児心理科に通され病名が判明することになりました。
正直なところ、「発達障害の可能性があります」と診断されたときは青天の霹靂でした。なぜなら発達障害というのはどういうものなのか、治療法についてもよくわかっていなかったからです。
しかし、そのときに診てもらった先生から「こんなに小さい年齢の段階で診断できるのはまれなことです。ご両親がちゃんと子どもを見ているからですね」と言われたときに救われる思いがしました。先生いわく、「発達障害ではないかと気がつくのは小学校の入学前の健診や学校生活が始まってから(※1)、なかには大人になって仕事を始めてから気がつく人もいる。それに比べると、早い段階から発達障害だとわかっていれば、子どもを観察できる時間が多くなるため、成長に合わせて対応がしやすくなる」と聞いたからです。こうして先生と家族が二人三脚となり息子の治療がスタートします。
よく観察して対処方法を見つけ出す
とにかくいろいろ体験させてみた
最初はとにかく観察をすることをすすめられたため、じっくりと見ていたところいろいろなことがわかってきました。本来であれば、嫌なことや不快なことがあると言葉で訴えてきます。「食べたくない、歩きたくない、眠い……」などです。しかし、感情を言葉で表せない息子はどうしたのかというと、とにかくよく泣きました。おそらく、自分の思いが伝わっていない、不満などいろいろなことがあって言葉以外で伝える唯一の手段だったのでしょう。散歩や買い物途中など、近所に響くほどの大声でとにかくよく泣いていました。
まだ乳児のときでしたらまわりの人も「あらあら泣いているわね」ですむのですが、歩くようになってから出かけた先で大号泣すると、まわりから「虐待しているのでは?」というように見られてしまいます。そのため、食事中であっても飲食店を出ることもしばしばありました。しかし、それは少しずつ改善していきます。
その方法は「とにかくいろいろ体験させる」ということでした。泣く原因をいろいろ考えてみたところ、初めての場所だから不安になる、嫌いな食べ物ばかりが出てきて嫌だ(※2)、などちょっとずつわかってきたのです。
そこで、同じところに何度も通って「ここは大丈夫な場所なんだよ」と理解させることにしました。もちろん、すぐに慣れるわけではありませんでしたが、それでも何度も通うことで、入り口の場所、トイレの場所などがわかり、以前来たことがある場所だと認識すると、大声で泣くことは減っていきます。
食事については、最初は夫婦で交代しながら泣きそうなときは外に連れ出すという方法を取っていました。しかし、これではゆっくり食事ができません。そこで妻が考えたのが「バイキング」方式の店に行くことでした。バイキングなら好きなものや気になるものを選んで食べることができます。そのうち、食わず嫌いだった食材を食べられるようにもなりました。こうして泣く理由を少しずつ減らしていったところ、3~4歳くらいからは普通に外食できるようになっていったのです。
支援教室に通う「通級」を巡り
小学校で起きたとある事件
しかし、小学校に入ると新たな問題が発生します。それは「通級」という制度でした。そのころ住んでいた自治体では、週に1回別の学校にある支援教室に通うことになっていたのです。通うことについて本人は特に気にしていないようでしたが、まわりの子どもたちはそうではありませんでした。「なぜ、あいつだけ授業の途中でどっかに行くの?」となり、授業を抜け出して別の学校で遊んでいるのはズルい、となってしまったのです。
小学校の高学年であれば、先生が理由を説明することである程度は理解できるでしょう。しかし、まだ低学年の子どもたちにとっては、いくら先生が説明したところでなかなかわかるものではありません。最初は軽い気持ちのイジリですが、だんだんエスカレートしていき「週に1回授業を抜け出す奴」となって仲間外れの対象になっていきます。こうなってくると小学校そのものが嫌な場所へと変化していき、次第に登校を拒否するようになっていったのです。
そして事件が起こります。私自身は自営業であったため、普段はその日にあった出来事などを必ず聞くようにしていました。しかし、ちょうどそのころ体調を崩して入院してしまっており、様子をうかがうことができていませんでした。そこに近所の中学校に通う娘から、どうやら小学校で息子が飛び降りようとしたと連絡が入ったのです。面会時間ではなかったものの、病院に事情を話して会って話を聞くことにしました。
どうやら私が入院したことによる心の動揺があった時期に、当時の担任の先生が聞くに堪えない暴言を吐き、周囲の子どもたちも面白がって一緒になっていたため、自暴自棄になってそんな行動をとってしまったというのです。これにはさすがに怒り心頭でしたが、怒ったところですぐに改善できるものでもありません。そこで私は「嫌なら無理して学校に行かなくていいよ」と伝えました。勉強自体は自宅でもできますし、嫌な場所で嫌な思いをするくらいなら自宅のほうがマシです。もちろん、このこと自体を泣き寝入りするつもりはまったくありません。
退院後、校長や当時の担任、教育委員会などとも何度も何度も話を重ね、改善策を求めました。その後は、通級の頻度が減り、逆に支援学級の先生が通常の学校に巡回指導することになり(※3)、ほかの子どもたちも「ああ、違う学校で勉強していたんだ」と理解が深まり、その後は大きな問題に発展することはありませんでした。







