天才がつぶされる3つのケース
久保選手ほどの才能を持つ選手であっても、困難に直面するのはなぜだろう。監督の評価という視点から考えてみたい。
監督の目から見ると、才能のありそうな選手は以下の3つのケースに分類されるだろう。
(1) 彼のポテンシャルを理解していたが、彼自身の身体の強靭さやバランスがいまだ整っていないと感じ、その成長を待つ必要があったケース
(2) 彼のポテンシャルを理解していたが、チームの戦略やチーム構成の関係から彼に十分な機会を与えられなかったケース
(3) 彼のポテンシャルを理解できず、その適切な使用法が見つからなかったケース
これらのケースによって、久保選手の一時的な停滞が引き起こされた可能性がある。
さすがに彼ほどの才能を前にすれば、これまでの監督のほとんどは、(1)または(2)だったと考えられる。(1)の場合は、課題を指摘しその克服に努めるように指導したであろう。(2)の場合は、ある意味で仕方がないともいえる。彼を生かした戦術を採る選択肢はあったとしても、他の選択肢と比較して、その戦術が劣位であれば監督はその戦術を採用できず、ひいては久保選手を起用することもできない。
ただ、場合によっては(3)のケースもあったかもしれない。というのは、天才と呼ばれる人の中には、「本当の天才」と、「天才のように見せて実際はちょっとユニークな凡才」という人もたくさんいるからだ。
久保選手も、せいぜいボール扱いにたけたドリブルが得意な選手、または受け手のことを考えずに意表を突くパスをして、ピンチを招くやっかいな選手と認識した監督もいたかもしれない。
こうした監督(管理者)による「評価ミス」は、われわれの職場でも十分に起こり得る。もしかしたらすごい能力を持っているかもしれない社員を前にしても、指導する上司の能力が低いと、目の前の仕事の出来が少し良くないだけで、間違って低評価し、そのポテンシャルを開花させることなく、天才をつぶしてしまうことも往々にしてあるのだ。
私自身も、リスクマネジメントのコンサルティングを通じて、実際に、そうした類いの例をいくつも見てきた。