ユニークな事業ポートフォリオを活かし
専門性と多様性を兼ね備えた人財を輩出する

人的資本経営の論点キリンホールディングス
取締役常務執行役員 CHRO
坪井純子
JUNKO TSUBOI

  キリンはビール醸造を祖業としていますが、現在は食領域だけでなく、ヘルスサイエンスや医療にまで事業領域を広げ、そこでイノベーションを創出することで、CSV(creating shared value)先進企業となることをグループビジョンに掲げています。外部環境が大きく変容する中で人財戦略も転換点にあり、足元の経営戦略の実行だけでなく、さらなる事業ポートフォリオ変革に寄与する人財を育て、経営戦略の可能性を広げることを重視しています。持続的な事業成長、企業価値向上を実現するため、「人財が育ち、人財で勝つ会社」を目指しています。

 人事の基本理念は「人間性の尊重」です。人には無限の可能性があり、みずから成長しようとし続けるものであるととらえたうえで、従業員は「自律した個」であり、会社はそれを尊重して支援する、という関係が原則です。従業員には自律的なキャリア形成、主体的なジョブデザインが求められ、会社はプロフェッショナルになるための育成支援や公正な処遇などでサポートする。両者は仕事を介した対等な関係、イコール・パートナーであるべきです。

 こうした基本方針の下、最も重視しているのは「専門性」と「多様性」、この2つを兼ね備えた人財輩出です。食・ヘルスサイエンス・医というユニークな事業ポートフォリオを持つ当社では、事業部を移ればあたかも転職したような経験ができる。事業を超えて専門性を磨き、多様な視点や価値観を育んでほしいと考えています。

社員のウェルビーイングなくして
お客様のウェルビーイングは実現しない 

人的資本経営の論点三井住友トラスト・ホールディングス
執行役専務
三井住友信託銀行 取締役専務執行役員
井谷 太
 FUTOSHI ITANI

  当グループのパーパス「信託の力で、新たな価値を創造し、お客様や社会の豊かな未来を花開かせる」の実現には、「社員とお客様や社会の“幸せ”の好循環」が不可欠です。人的資本への投資が社員にウェルビーイングをもたらし、彼らがお客様や社会の課題解決、価値創造に懸命に取り組むことで、お客様や社会のウェルビーイングが向上する。さらには、それが励みや誇り、働きがいへと結び付き、社員のウェルビーイングがいっそう向上する。といった好循環をつくり出すことを目指しています。

 そこで我々は、この「ウェルビーイング」を軸にした人事施策を導入しています。その一つが、株式報酬制度です。全社員を対象としたRS信託(注1)の導入に加えて、従業員持ち株会の奨励金を8%から20%に引き上げ、会社や事業へのオーナーシップを強化しました。社員と会社のベクトルが合致し、より中長期的な成長を追求することができます。

 また、お客様や社会の豊かな未来には「ファイナンシャル・ウェルビーイング(注2)」が欠かせないことから、その第一歩として、社員の資産形成支援を行っています。当グループが、年金や職域業務で培った資産形成教育プログラムを全社員に提供したところ、持ち株会の年間拠出額は2.5倍に増加、特に20~30代の加入率が大きく伸びました。社員が自身の資産形成に向き合うことで、信託の力を実感し、伝道師となって、お客様のウェルビーイング向上に貢献していく好循環が加速しています。

注1)三井住友信託銀行が開発した、株式交付信託とRS(譲渡制限付き株式)の利点を組み合わせた社員向け株式報酬制度。
注2)お金や資産において、不測の事態に対する備えと将来に向けた準備をすることで安心できる状態。

不健康な組織依存を断ち切り、
人的資本が活かされた労働市場とは 

  近年注目を集める「人的資本」は、私の恩師である故ゲーリー・ベッカー教授(注3)が大きな功績を残し、ノーベル経済学賞を受賞された理論です。人的資本とは人の持つ能力・才能・知識を指し、投資の対象であるととらえることで、教育・訓練、健康管理などの人的資本の投資次第で生産能力が高まるとされます。市場性が高くてどの企業でも通用する「一般能力」、市場性が低くて他企業では通用しない「企業特殊能力」、この2つに分類されます。

人的資本経営の論点一橋ビジネススクール
国際企業戦略専攻 教授
小野 浩
HIROSHI ONO

 個人が一般能力に投資して市場価値を高め、需要と供給のバランスに見合った対価を得るのが、「外部労働市場」です。一方、企業が生産性向上を目指して企業特殊能力を蓄積するのが「内部労働市場」です。企業内で人的ニーズが満たされるため労働市場の流動性は低くなります。ジョブ型雇用の発想は前者に、メンバーシップ型雇用は後者に由来します。

 内部労働市場では、えてして能力と関係ないところで賃金が決まることが多いため、リターンが低い一般能力(MBA取得など)への投資意欲は低下します。一方、企業特殊能力は可視化・価値化が難しく、自分の市場価値がわからないことから転職というオプションが限定的となり、組織への不健康な依存が高まります。アメリカのように流動性が極めて高い労働市場は日本には適しておらず、望ましくもないでしょう。しかし、一般能力に投資し、自分の市場価値を認識し、転職や副業など複数のオプションを持って自立性を高めることは、ウェルビーイングの観点からも有効です。

注3)シカゴ大学とコロンビア大学で教授を務めた、アメリカの経済学者、社会学者。1992年にノーベル経済学賞を受賞。
1960年代に人的資本理論を提起し、労働者を資本としてとらえることで、労働経済学に革命をもたらした。