弾薬やエネルギーが尽きて使用不能になったり、破損箇所を予備パーツで修復し、ホワイトベース全体の備蓄が乏しく補給の緊急性が生じたりするなど「不便な描写」は画期的でした。戦局に応じた「運用思想」と「ロジスティクス(兵站)」の概念が描かれ、リアリティを高めているのです。個々の細部がリアルかどうかより、トータルで「作者が作品世界をどう観ているか」の点で「世界観」が宿り、そこに「見立て」を発見した視聴者は作品世界から目が離せなくなる。リアリズム的な発想が貫かれた「世界観主義」だからこそ、過去に無いヒットをした上に、長期人気が持続したのです。

 富野由悠季は、参考にした書籍のひとつに軍事学者クラウゼヴィッツの「戦争論」を挙げています。さらに戦前に書かれた石原莞爾 の「最終戦争論」を読むと、ガンダムの描写や事件に近い発想が多数書かれていて驚かされます。この種の「戦争の教養」がバックにあって、軍事的リテラシーに基づく分厚いリアリズムで作品世界が固められている。これもひとつの「世界観」です。それによって「オモチャ」のはずのガンダムが、「信じられるもの」に高まった。筆者はそう考えています。

 この「ひとつのウソを信じてもらうため、残りすべては”本当らしいこと”で固めていく手法」は、やがて「ロボットアニメ」の範疇を超えて日本のサブカルチャー全体に浸透します。日本製アニメの「世界観主義」がステップアップした結果でした。

 ただし後に台頭する「個人の願望が世界全体を改変してしまう作品群」(通称「セカイ系」)や「秘めた願望や実力が叶かなえられる都合のいい世界に生まれ変わる」(通称「異世界転生もの」「なろう系」)とは、決定的な違いもある。それは「個人」と「世界」の間に集団が構築した「社会」が介在して軋轢を生むことです。それを築きあげてきた歴史の存在感と、その中に個人がどう居場所を見つけるのか。こうした探究心も『ガンダム』は触発してくれます。「現実の縮図」としてのリアリティを獲得する手段として「世界観構築」が意識された。世界観それ自体を目的にしたわけではなかったのです。

プラモデルが果たした
物語へのユーザーの参加

「玩具販売の世界観」を「リアル志向の世界観」に読み替え、再構築する。この「ルールの更新」によって「世界観主義」の一般大衆化への道筋がつきました。その流れを加速する大きな役割を果たした商材が、「プラモデル」でした。放送終了後の1980年7月——本放送時に合金玩具中心でスポンサーだったクローバーではなく、バンダイから改めて「ガンダムプラモデル(通称ガンプラ)」が発売されたのです。