労働移動を円滑化することで
成長産業が生まれるという詭弁
そして、(3)成長分野への労働移動の円滑化。失業給付制度の見直しや、退職所得課税制度等の見直し(と称した勤続20年以上の者に対する実質的な増税の検討)によってこれを進めようということのようであるが、要するに、転職すれば賃金が上がるはずだという根拠なき前提に立ってこれを進めようとしているということだろう。
そもそも成長分野と言うが、成長していて人手不足の分野であれば、労働移動を円滑化しなくとも転職は進んでいくだろう。かく言う筆者も、成長著しいコンサル会社からの人員増強・新部門設立のお話をいただいて転職した。
それをあえて「成長分野への」と記載するところに、何か本当の目的があるようだ。
「日本に成長産業が生まれないのは、成長分野への労働移動が円滑ではないからだ。円滑にするためには解雇規制を緩和すべきだ」という話を聞いたことがある方もいるのではないだろうか。
なんとなくもっともらしく聞こえてしまうのかもしれないが、筆者からすれば支離滅裂な話でしかない。成長産業が生まれるのは、長期・大規模・計画的な国の投資があっての話。このことについては、筆者が前書きおよび解説を執筆して翻訳版が復刻された、マリアナ・マッツカートの『企業家としての国家』に詳しいのでそちらを参照いただきたいが、少なくとも労働移動の円滑化うんぬんとは関係がない。
国が役割を果たして成長産業を創出し、その事業を安定化させるまで面倒を見ることで、その事業が拡大し、その周辺産業も含めて働き手が集まるようになる。つまり、順番が逆ということであるが、そんな詭弁(きべん)のような話まで作り上げて何をしたいのかと考えれば、本丸は「解雇規制の緩和」ということだろう。
同指針では一言も書かれていないが、これまでの「労働移動の円滑化」を巡る言説を思い返せば、そのことが分かるだろう。
容易に解雇ができるようになって、雇用が不安定化すれば、当然イノベーションは起こりにくくなるし、企業は成長しにくくなる。成長しにくくなるということは賃金が上がりにくくなるか、下がりやすくなるということである。つまり、賃上げは極めて期待薄になるだろうということである。
以上見てきたように、岸田政権の三位一体の労働市場改革を検証していけば、賃上げなど夢のまた夢どころか、多くの人にとってはかえって賃下げにつながることになりかねないことがお分かりいただけたのではないか。
そもそも、なぜ日本で賃金が下がってきたのかといえば、一つには株主資本主義、金融資本主義のまん延により、株主価値の最大化に重きが置かれるようになり、株主配当を増やすためのコスト削減の格好の対象に人件費がなったことである。
さらに加えて、超短期的な経営により中長期的な研究開発が困難になり、イノベーションが起こりにくくなり、マクロで見た場合に賃金が上昇しにくくなったこと、過剰なグローバル化による価格競争のために、製造業を中心にコスト削減の一環として人件費が削減されるか伸びにくくなったこと、人件費削減の手法として正規労働者の非正規労働者による置き換えが進んだこと、政府が緊縮財政を続けたため、国内の需要が収縮するデフレに陥り、そうした中で消費税の増税を強行したため、さらに需要は収縮し、価格を下げて需要を喚起するため人件費を削減せざるを得ない状況が続いてきたことなどである。
これらに加えて、技能実習生や特定技能と称する低賃金移民の受け入れ拡大を進めたことで、賃金を押し下げる圧力がさらに強まっていっていると言っていいだろう。この賃金が上がらない状況は、結婚ができない状況、結婚して子どもを産み育てることができない状況を併発し、少子化の深刻化の大きな原因ともなっている。
したがって、岸田政権が本気で賃上げを実現したいのであれば、最低でもデフレギャップを埋めるだけの国の財政支出を拡大することである。つまり、国全体としてのパイを増やす、お金を国が率先して増やすことである。そして、岸田文雄首相が総裁選の時に掲げた新自由主義からの転換を、株主資本主義の本格的な修正を中心に、本気で進めることである。しかし、そうした措置を講じる気配は、岸田政権には、今のところ見られない。