金大中さんの発想からすると、今のような展開はあり得ない。ウクライナにたくさん武器を供与して「がんばれ、がんばれ」と手をたたく。戦地で実際に亡くなるのはいったい誰なのか。「なぜ、私たちの税金で大砲の弾を買って援助しなければならないのか」と疑問を語るアメリカの国民もたくさんいる。

 南北の関係にしてもそうです。周りの国がたくさん武器やお金を提供して死の戦争が始まってしまうかもしれない。それは避けなければならないと思ったから、金大中さんは独裁者である金正日に会いに行った。独裁者と話をしに行くことさえ許されないのであれば、デタント(緊張緩和)という考え方自体が成り立ちません。

冷戦崩壊後に強まった
「サイドの思想」

――ロシアとウクライナ双方とそれぞれ話をして、両国にとって可能な落としどころを見つけるよう尽くすべきだということですね。

 そうです。北朝鮮を理解する。ロシアを理解する。今は理解することが必要であるにもかかわらず、ロシアを研究することすらも許されないといった空気があります。しかし、相手を理解することは許すことではない。もっと深い原因を探るためには、むしろ「理解」が必要なのです。

 パレスチナ系アメリカ人の文学研究者であるエドワード・サイードは、このような「あちらにつくか、こちらにつくか」の考え方を「サイドの思想」と呼びました。こういったサイドの思想が冷戦崩壊後に強まっている。

 これでは「非武装地帯」という考え方もあり得ない。しかし、朝鮮半島は2キロの非武装地帯があるから共存できている。私は思想の中の非武装地帯が必要だと思うのです。ただ、世界をグループに分けているばかりでは対話をすることはできない。

 金大中さんは、この考え方をくぐり抜けないと未来はないと考えました。彼は自分を暗殺しようとした朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領とも「会って話したかった」と言っていました。そして、言いたかったのです。「我々はエネミー(敵)ではない、ライバルなのだ」と。今日の中国もアメリカもエネミーではありません。ライバル関係なのです。