私の経験上、この「プライドの鎧」に真正面から向き合いきれていない方は多い。「鎧」を身につけた状態だと、適性検査も自己分析も意味をなさない(「私は鎧をつけていない」と断言する方が実はそうではないことも意外に多いので、少し慎重になって、「鎧があるとすれば」という前提で考えてみてほしい)。
あえて「エリート」と呼ばれるキャリアを歩んできた方ほど「鎧」を身につけていることが少なくない。知り合いと話すときに今の会社名を言いたい、所属している有名企業の名前が書けなくなるのはカッコ悪い。そんな方ほど、キャリアが終盤に近付いてから「自分のやりたいことはこんなことではなかった、もっと自分に正直に歩めばよかった」と漏らすことが非常に多いのだ。無理やり自分に言い訳をし続けると、いつかどこかでゆがみが表面化してくる。
せっかくなので、私自身の事例を紹介させてもらおう。
私が最初に入社したのは、コンサルティングファームだった。スマートで仕事が早い先輩方とは違い、不器用だった。若手の頃は「使えない」と罵(ののし)られ、「明日から来なくていいよ」とプロジェクトから外されたこともあった。365日中360日は会社に入り浸(びた)り、一生懸命頑張ったが、優秀な周囲との差は開く一方だった。「プライドの鎧」をまとう以前に、まず仕事をさせてもらうことすらできなかった。
だからこそ泥臭く、人の何倍もの努力をした。別に、カッコいい話ではない。そうするしかなかっただけだ。本音では、クビになりたくなかっただけかもしれない。
人より遅い昇格を経て、プロジェクトリーダーになった。ようやく相応の立場になったことに、当時は喜びもあったと思う。スマートなコンサルタントではなかった分、泥臭く、寄り添うスタイルであったことが奏功してか、クライアントである、ある大手オーナー社長からの信頼を掴(つか)み、一緒に海外事業への挑戦をサポートしてほしいというリクエストをもらった。当初は会社から認められなかったが、あの手この手で機会を掴んだ。
まったく使えなかった「ダメコンサルタント」の私が、少なくとも肩書は「海外責任者」になったのだ。人よりも苦労した分、嬉しさも大きかった。