コンサルタントとして偉くなり、肩書を得たところで、それが人生の何に役立つのか。影響力のある組織を変え、いや、それにとどまらず、社会全体を変え、人の可能性を最大化したいのではなかったのかと。私は、2度目にしてようやく本当の意味で「プライドの鎧」を脱ぐことができた。
私は、起業することに決めた。多くの方から、もったいない、せっかくの立場なのに、待遇が下がるんじゃないか、うまくいくのかなど、多くの声を寄せていただいた(実際に待遇は劇的に下がったので、アドバイスは正しかったのだが)。不安がなかったといえば嘘になる。ただ、自分と向き合って出した結論を変えるつもりはなかった。
起業してからは、語り尽くせぬ大変さが待っていた。毎日がうまくいかないことの連続。ただ、私は会社のミッションとして掲げた「いまだない価値(Egg)を創り出し、人が本来持つ可能性(Egg)を実現し合う世界を創る」をぶらさず進み、たくさんの企業や個人の方々を支援し続け、なんとかここまできた。ようやく今、自分らしい生き方を掴めたように感じている。
先ほどと同様、伝えたかったのは「とにかくリスクを取れ」のような意思決定の是非ではない。生存者バイアス(失敗した例を無視し、生き残った例だけをもとに判断すること)も考慮しなければならないだろう。ただ、わざわざ自分語りを聞いてもらってまで伝えたかったのは、自分の気持ちから目を背けていると、「いつしかそれが当たり前になってしまう」ことのリアリティだ。
キャリア支援をしていて、いかにこのパターンが多いことか。ごまかし続けると、いつか自分ですら、自分の気持ちに気づけなくなる瞬間がやってくる。そうなる前に、向き合ってほしいのだ。
「プライド」という言葉にピンとこない方は、自身の「ザワザワ」に目を向けてもよいかもしれない。たとえば、実名SNSでの発信。投稿内容には、「自分はこう見られたい」という意思、つまりはプライドが多かれ少なかれ表れている。
徳谷智史 著
誰をフォローしていて誰をしていない、あるいは外したか。誰のどんな投稿に「ザワザワ」するのか。誰かの投稿に「いいね」をするときとしないときにどんな感情の差があるのか。タイムラインからは、嫉妬の感情も浮かび上がってきたりする。
あなたのまとっている「プライドの鎧」の正体は何だろうか。その鎧をまとっていることによって得られていること、自分を納得させている(自分に言い聞かせている)ことは何だろうか?そこから逆に、「受け入れられていない自分像」や「ごまかしている本音」について、ぜひ考えてみてほしい。
今のままの自分で5年、10年を過ごしたとき、未来のあなたはどう思うだろうか?