しかし、これが崩壊の始まりだった。何を勘違いしてか、現地のローカルスタッフの方々に「べき論」を振りかざすことが増え、クライアントに対しても、「自分には現地の知見があるから」と上から目線の態度を取っていた部分があった。
変化はすぐに訪れた。ローカルスタッフ中心の組織は崩壊し、クライアントからの信頼も損なわれた。本社に対しては「現地の苦労がわかってないんだ」と文句を言い、気づけば、周囲との距離は広がるばかりだった。
そこではじめて気づいた。私は、「プライドの鎧」を着ていたのだ。長い期間プライドを持てなかった分、今思えば「鎧」も逆に強固だったのかもしれない。
組織崩壊してスタッフがいなくなったアジアのオフィスで、私は1人考えた。
何のために、コンサルに入ったのか。
なぜ海外事業の立ち上げに挑戦したのか。
コンサルに入社したのは、「影響力がある会社が変われば、人や社会が変わっていくから」という理由のはずだった。ただ、実際の私は現実離れした「べき論」を周囲に押しつけ、掴んだ立場に背伸びをしてすがりつき、強がっていたにすぎなかった。
ここで私ははじめて「プライドの鎧」を脱いだ。仕事に向き合う姿勢を改め、1つひとつのクライアント企業を心から尊重し、対話を重ねた。
次第に、顧客や組織は戻ってきた。ただ、今思えば、その成功体験がまた、私の「コンサル会社の海外代表」としてのプライドを強化し、守りに入らせた気もする。
その後しばらく経った頃、幼少からお世話になった大切な身内が亡くなった。海外赴任中の私は、死に目に会えなかった。「人生は有限だ」。その人の死はそんな当たり前の事実に向き合うきっかけをくれた。たしかに、目の前のクライアント企業に喜ばれることは嬉しかった。ただ、それは目指す「人や組織の可能性を最大化し、社会を変える」方向とは乖離していることも、心のどこかでわかっていた。
私は、思った。「プライドの鎧」を脱ぎ捨てたつもりでいて、結局は、今、自分が価値を発揮できる「コンサルティング業務」に無理やり意味付けをしているだけだったと。一定のやりがいがあったことは確かだ。だからこそ「この仕事を続けるべきだ」と自分に言い聞かせていた部分があったと思う。そして、周りからの賞賛や承認がその支えとなっていた。
今一度、自分に問い直した。