アメリカの哲学者エリック・ホッファーは、自分を愛することを重視していました。ホッファーは港湾労働者として働き続けながら、哲学者としても名をはせた異色の存在です。彼は、生きるために港湾労働者として働いていました。しかし、哲学者として有名になり、大学からの誘いがあっても大学教授の職より、働く量や時間を選べる港湾労働者として自由に働くほうを選んだのです。つまり、彼は自由を最も大切にしていたのです。

 ホッファーの理想は、「自由、閑暇、運動、収入のバランスが取れていることだ」と言います。自由に働き、自由時間があって、適度に運動ができる。そして、生きていくのに最低限の収入も得られる。こんな働き方は他にないということなのでしょう。その自由時間に、彼は本を読み、哲学書を書き続けたわけです。

 誇りを重視し社会に認められることを重視したヘーゲル、自由を望み自分を愛することを重視したホッファー。しかし、人間が仕事をするうえで、もう1つ欠けている視点があります。

 ドイツ出身のユダヤ系哲学者ハンナ・アーレントは現代の公共哲学の祖とも称される人物ですが、そう呼ばれるきっかけになった著書『人間の条件』の中で、人間の営みを次の3つに分類しています。

・労働(レイバー)
・仕事(ワーク)
・活動(アクション)

 労働とは、生活に不可欠の営みを指します。いわば、家事のようなものです。仕事とは、労働よりももう少し創造的な営みを指します。彼女の場合は本を書くことでした。これは一般的に、私たちが“仕事”と呼んでいるものに当てはまります。

 労働や仕事に対し活動というのは、見知らぬ人々と交わり、何か一緒に行動することを意味しています。地域活動や政治活動を思い浮かべてもらうと良いでしょう。

 アーレントは、この3つをセットとして人間の営み、つまり広い意味での仕事として捉えているように思います。

 たしかに私たちの日常には、家事という労働や仕事、地域活動など、労働も仕事も活動も含まれています。

 中でもアーレントが指摘しているのは、その割合です。私たちはつい労働と仕事のルーティンに追われ、それ以外の活動を後回しにしがちです。自治会の活動やボランティア活動は、年を取って家事や会社勤めの負担が軽くなった人がするという風潮があるのは事実です。