だから彼の正義論は、いかにすれば自由を保障しつつ正義が実現できるかを論じており、公正としての正義と呼ばれます。『正義論』で彼は、正義の二原理と呼ばれる理論を掲げます。

 まず、第一原理である平等な自由の原理によって、各人に平等に自由を分配すべきだと言います。もっとも、ここで言う自由とは、言論の自由や思想の自由、身体の自由といった基本的な自由に限られます。

 次に第二原理ですが、こちらは2つに分かれています。社会的・経済的不平等について、ある地位や職業に就くための機会の均等が保障されている場合にのみ認められるとする機会の公平な均等原理、それでも残る格差や不平等を調整する格差原理の2つです。格差の調整は、最も恵まれない人が最大の便益を得るような形でなされる場合に限られると言います。

 ただ、ロールズの理論はあくまで手続きに関するものであって、こうすれば正義は実現できると言っているだけです。人の価値観は様々なので、何が正義なのかという価値に関する議論を避けているのです。

 そうした問題を鋭く突くことで、もう1つの正義に関する議論を提起したのが、コミュニタリアニズム、日本語で言うと共同体主義と呼ばれる立場の哲学者たちでした。その代表格が、アメリカの政治哲学者マイケル・サンデルです。

 サンデルは、共通善という概念を掲げ、共同体における共通の価値を模索しようとしています。そうした立場から、アメリカにおける市場競争の正義や能力主義制度の正義を問う著作を発表し、時代の風潮に鋭い問題提起を行っているのです。

書影『世界が面白くなる!身の回りの哲学』(あさ出版)『世界が面白くなる! 身の回りの哲学』(あさ出版)
小川仁志 著

 今の社会において何が共通の価値として正しいと言えるのかは、その社会のメンバーが議論することによって確定していくより他ありません。だからこそサンデルは、公共的な対話を重視しています。そして実際に正義をめぐって、世界中で対話の場を設けてきたのです。結局、正義の本質がバランスである以上、それは何がバランスなのか模索し続ける態度によってのみ実現されるのだと思います。

 裁判がまさにそうですが、個々のケースでバランスは異なりますし、1つのケースでも新たな証拠が出るたび、そのバランスが揺らいでいきます。

 神話に登場する正義の女神は天秤を持っていますが、あの天秤が司法の世界において正義を象徴するものになっているのは頷けます。正義はあらかじめ決めることもできなければ、固定することもできません。正義は、生成し続けなければならないのです。