入国に5時間、空港から練習に直行
「北朝鮮アウェイ戦」の恐怖
そんな各国との対戦成績を振り返っていくと、日本とミャンマーは前回のカタールW杯・アジア2次予選でも同じグループだった。ホームでは10-0と大勝した日本だが、アウェイ戦では相手の闘志と不慣れなピッチ、東南アジア独特の気候のなかで2-0とやや不完全燃焼の勝利を収めている。ホームでの試合後の21年6月には、ミャンマーのリザーブだった選手が難民を申請して認められる事態も発生している。
11年に勃発した内戦が長引くシリアとのアウェイ戦は、前述の通りシリア国内での危険性が考慮され、近隣の第三国で行われてきた。
ハリルジャパン(※)時代の日本代表は、ロシアW杯・アジア2次予選でシリアと同グループとなったが、15年10月のアウェイ戦はオマーンの首都マスカットで代替開催された。試合は日本が本田圭佑、岡崎慎司、宇佐美貴史のゴールで3-0と快勝した。
※ヴァイッド・ハリルホジッチ体制(15~18年)
余談だが、中国、フィリピン、グアム、モルジブと同じグループに入ったカタールW杯のアジア2次予選も、シリアはホームで行われるはずの全4試合をUAEのドバイで代替開催している。
シリアサッカー協会としても、首都ダマスカスをはじめとする国内での開催はほぼ不可能と判断しているのだろう。そうなると、今回の2次予選も近隣の第三国で行われる可能性が高そうだ。
各国との対戦成績に話を戻そう。ミャンマーやシリアとは異なり、日本は北朝鮮代表に何度も手痛い敗北を喫してきた。FIFAランキングや代表選手の実績では圧倒的に上回っているとはいえ、やはり勝負事に絶対はない。特に印象的なのは、ザックジャパン(※)時代の敗戦だ。
※アルベルト・ザッケローニ体制(10~14年)
日本と北朝鮮は、ブラジルW杯・アジア3次予選で同じグループとなった。そして両者は11年11月に、首都・平壌の金日成競技場で対戦。ザックジャパンが0-1で敗れた。
当時の日本はタジキスタンとのアウェイ戦から中国・北京経由で平壌入りし、中3日の強行スケジュールで北朝鮮戦に臨んでいた。すでにアジア最終予選進出を決めていた状況もあり、主力の遠藤保仁や香川真司らを先発から外した(本田圭佑は膝の負傷で離脱していた)。しかし、それだけが苦杯をなめさせられた理由ではない。
日本サッカー協会(JFA)が年度ごとに作成・公表している事業報告書の11年度版では、冒頭部分の「日本代表関連事業」で22年ぶりに臨んだ平壌でのアウェイ戦に関する記述が見られる。
「国交のないDPRK(北朝鮮)での試合となったため、外務省や通産省等、関係省庁に多大なご協力をいただきながら準備を進めたが、準備段階から入国まで難問が多く、非常に難しいチーム運営となった。
査証取得のために、入国者全員(50名)が指定された日時に在北京DPRK大使館へ出向き、取得に1時間弱を要した。また、平壌空港ではパスポートチェックに2時間、荷物検査に2時間、その後、すべての荷物を受け取るまで1時間かかり、チームが完全に入国するまでに約5時間を要した。そのため、選手は空港から直接スタジアムへ向かい公式練習を行うことになった。
試合では隣の人の声が聞こえないほどの統率された応援とブーイングに圧倒され、選手の当たりも激しく、完全に相手ペースの試合となった。また、慣れない人工芝にも苦戦し、ペースをつかめないまま50分(後半5分)に失点して敗れた」