シェアハウスに代表されるように「もう一つの家がある」生き方はもはや一部の人のものではない。急速なリモートワークの普及、デジタル化によって、誰でも今すぐ始められる時代になりつつある。「分散する生き方」はこれからの社会の豊かさのスタンダードだ。多拠点生活を自ら実践し、日本のシェアリングエコノミーの第一人者である著者が「多拠点ライフ」で変わる新しい生き方、今から始められる実践方法を紹介する。
「シェア」から始まった 私の多拠点ライフ
現在私は、東京都・渋谷のシェアハウスと、大分県・豊後大野市の田舎の古民家に、それぞれに住まいを構えながら、1カ月のうち10日を東京、10日を大分、その他の時間で全国各地の色々な地域に仕事や旅を目的に訪れる、そんな「多拠点ライフ」な暮らしをしています。
いわゆる限界集落と言われている農村の古民家と、渋谷のシェアハウスというかなり極端なふたつの拠点を行き来しながら、ある時は沖縄で仕事をしながら、多拠点シェアサービスを利用してシェアハウスやゲストハウスに泊まり、ある時は全国にいる拡張家族のおうちや、実家に泊まらせてもらい、北海道から沖縄まで、毎月色んな地域で、旅をするように暮らしている生活です。
会社のメンバーとの出張でもビジネスホテルではなく、ホームシェアリングサービスAirbnbを利用して、その地域のユニークな物件に泊まっています。
もともと私は、横浜市の実家のシェアハウスで育ちました。世界中を旅してきた父が連れてきた友人がいつも家に集まり、誰かの帰ってくる場所になっている。そんな血のつながらないお兄さんやお姉さんが同じ屋根の下にいるような環境が私の日常でした。
宿題を手伝ってもらったり、歌やダンスを教えてもらったり、ブラジル人に言葉を教えてもらったり。そんな多様な人たちと人生をシェアする豊かさを知った経験は、私のシェアリングエコノミーを普及する活動の原点です。
2011年の東日本大震災の時、スーパーの棚から食べ物が空っぽになる光景を前に、有事の際にはいくらお金をもっていてもどうにもならないと思ったと同時に、頭によぎったのは、実家での経験から「シェアすればなんとかなる」でした。
地震が起きても、全国に泊まっていいよと言ってくれるつながりこそがお金にかえられない資産であると強く思いました。
以後、シェアリングエコノミーを広げる活動を始めてからは、海外でも民泊やコリビング(コワーキングスペースとシェアハウスを融合させた施設)のプラットフォームを使って、色んな人のおうちに泊まらせてもらいました。ホテル滞在では経験できないその土地のローカルな暮らしや日常を間近に見たり体験したりしてきました。
たった数日でもその地域に暮らしているような感覚を味わうことができ、一晩お酒を飲んで、ご飯を食べて、SNSで友達になって…と、各地に泊まれば泊まるほど、自然と大切なつながりが増えていく。初めて行った場所が、また帰ってきたい場所へと変わっていく経験は、かけがえのないものでした。
2016年に一般社団法人シェアリングエコノミー協会を立ち上げてからは、全国の地域課題をシェアで解決する「シェアリングシティ」という枠組みを自治体に広げてきました。2020年時点では、全国で130以上の自治体が取り組むまでになりました。
またシェアリングシティの実装をさらに加速させるため、シェアリングシティ協議会を立ち上げ、自治体の職員さん同士が事例やナレッジを共有したり、学びあうプラットフォームを運営しています。
2019年からは多拠点生活をする人、いわゆる「関係人口」の普及拡大について議論する政府の委員や地方創生の中期計画を議論する委員会の委員を拝命し、日本の地域課題をシェアリングエコノミーを通じて解決する仕組みや考え方を提言したり、多拠点生活がしやすいインフラや環境をつくるための政策を提案しています。