墨田区東向島の露伴児童遊園にある幸田露伴文学碑Photo:PIXTA

文学作品の舞台となった場所を巡る野田宇太郎(のだ・うたろう)の『東京文学散歩』は、1950~1960年代に一大ブームを巻き起こし、改稿を重ねて長年親しまれてきました。本書では、野田の大量の散歩コースを整理・再編成したうえで、独自の散歩コースを考案。先人の見た景色に想いを馳せながら、“いま”の東京を歩きます。本稿は、藤井淑禎『「東京文学散歩」を歩く』(ちくま新書)の一部を抜粋・編集したものです。

歩き疲れた時の「一服」も
散歩の醍醐味

 今回巡るのは、柳橋(やなぎばし)・新片町(しんかたまち)から浅草、今戸(いまど)・待乳山(まつちやま)、吉原(よしわら)・龍泉寺、そして白鬚橋(しらひげばし)を渡って向島へと至るコースだ。

 野田の散歩コースと突き合わせると、決定版『新東京文学散歩 増補訂正版』(1952年)中の「その二 日本橋・両国・浅草・深川・築地」中の柳橋・新片町から浅草・今戸までと、「その六 田端・根岸・龍泉寺・向島・亀戸」中の吉原・龍泉寺から向島までが基になっている。本稿では、コース終盤の模様を紹介する。

 私が野田の文学散歩を読んでいてかねてから不満だったことの一つは、休憩や食事といった「一服」シーンがほとんど省略されているということであった。確かどこかの散歩の折に、ベンチのようなところに座って一服するシーンを読んだような覚えがあるが、それ以外のシーンとなるとすぐには思い出せない。

 しかし、考えてみれば、これほど不自然なこともないだろう。その意味でも、本稿では、思いつくままに立ち寄った店も紹介していきたいと思う。もちろんフィクションではなく、私が訪れた実在のお店である。

 ここで紹介したいのは、源内の墓と同じ橋場2丁目22番の区画の明治通り沿いにある筑波家(つくばや)という鰻屋である。私が寄った時はほかに客もおらず、だいぶ歩いた後だったので、ゆったりとくつろげたのはありがたかった。

 きが利く女将さんにていねいな仕事ぶりのご主人。ただし、うな重のほうの味は絶品というほどではなかったが、これは私がうなぎの本場育ちで舌が肥えているせいかもしれないから、評価は保留にしておこう。

 さて、決定版では白鬚橋を渡った野田は、隅田川に沿って「言問橋の付近へつづく向島桜堤」を歩きだしているが、実はもう1カ所、これは野田の「東京文学散歩」には出てこないが、このあと野田が訪れる幸田露伴の蝸牛庵がらみで、露伴が1893年頃1年ほど住んでいたという白鬚橋東詰先の岐雲園跡も訪ねておきたい。

 今は墨田区立白鬚公園(墨田1-4)となっていて往時の面影はないが、幸田露伴児童遊園(墨田区東向島1-7-11)内に区によって設置された案内板「蝸牛庵物語」によれば、もと外国奉行の岩瀬忠震(ただなり)が建てたもので汐入の池や広い庭を持った邸宅であったという。その前は露伴の両親らが住んでおり、彼らが転居したあとに露伴が一時住んだのである。