これらの結果は武器理論を支えるものであるけれども、なぜ被験者がヒゲのある男性の方が攻撃的だと考えたのかは、まったく明らかでない。いくつかの実験によれば、攻撃性と反社会的行動が連想されるのは、ヒゲがあごを大きくみせる効果によるというよりも、ヒゲがもつ文化的意味の結果でありうる。結局のところ、ここ数十年の間、ヒゲは、攻撃したりかみついたりする表象よりも、明らかに政治的な反発と反社会的行動の表象だった。怖がらせるような連想は、身体的な優位よりも、ドラッグの文化や急進主義によるものなのかもしれない。

男にヒゲが生えることの
本当の意味を探る旅

 50年にわたる紆余曲折の後で心理学の調査が到達したのは、中間的な結論である。すなわち、ヒゲはときに魅力的であり、ときに魅力的ではない。ある程度まで威嚇的であるが、なぜそうなのか正確にはわからない。ヒゲの起源を明らかにする探求の難点は、数十万年前の人類の初期状態を再現して先史時代の男女の好みを解明することが不可能である、ということにある。ヒトゲノムを徹底的に分析すれば新しい秘密を解き明かすことができるかもしれないが、そのときまで、ヒゲの意味を説明する際の生物学の限界を受け入れる必要があるだろう。

 もしも、進化でなくて文明が毛の意味を最終的に決めるのならば、ヒゲの社会学的な理論をつくることが可能となるはずである。多くの人がそれを試みた。だが、近年、フランスの人類学者クリスティアン・ブロンベルジェは、社会科学者が毛の意味を説明できなかったということを認識した。中東の人類学の専門家であるブロンベルジェは、10世紀から現在に至るまで、ローマ・カトリックと正教のキリスト教徒と同様に、ムスリムとキリスト教徒が顔の毛によって自分たちを区別してきたことに関心をもった。

書影『ヒゲの文化史』『ヒゲの文化史』(ミネルヴァ書房)
クリストファー・オールドストーン=ムーア 著、渡邊昭子・小野綾香 訳

 しかしながら、ブロンベルジェはたんにそれだけではないことに気づいた。あらゆることが複雑に絡みあうなかで認識したのは、未完の仕事だということである。人工か自然か、長いか短いか、毛深いか薄毛か、明るい色か暗い色か、縮れているかいないかなど、対照的な髪型の属性や、それが示そうとしている社会的な対立を関係づけるような研究、つまり「毛学」の必要性を説いた。このような毛の辞典は、いわば、明確だったり暗示的だったりする広範な社会的メッセージを解読する助けとなるだろう。

 出来事が由来する筋書きを理解する唯一の方法は、映像を始めから終わりまで観ることである。顔の毛の歴史も同じである。ヒゲ、ヒゲ剃り、そして男らしさを明らかにする話の紆余曲折をたどることで、過去と現在の両方に新しい光を当てることができるし、私たちが自分の毛によって送っている意識的な、そして無意識のメッセージを読むことができるようになるのである。