シンガポールのコロナ対策が成功した理由

 この国民IDが極めて効果を発揮した例を挙げよう。2020年から世界中で猛威を振るったコロナ禍である。

 シンガポールではリアルタイムに感染状況を把握してクラスターの発生を抑制した結果、23年3月16日時点の人口10万人当たりの死者数は29人(日本は58人)と※2、世界的にも極めて優秀な結果を残している。これはシンガポール政府の全体構想力あってこその話ではあるが、それを可能にしたのがまさにこの国民IDであったのだ。

 一例を挙げれば、建物の入退室管理がある。コロナ禍のシンガポールでは、政府主導で開発が進められたトレーストゥギャザー(TraceTogether)というアプリで、すべての建物の利用者の入退室が管理された。

 この入退室管理に使われていたのが国民IDで、建物の利用者は各自のスマホを、スマホを持っていない場合は政府から配布された物理的なトークンを、建物入り口に設置されたトレーストゥギャザーのアプリ画面にかざすことで、建物に入ることができた。

 政府から建物側に出された指示は、「国民IDごとに、建物の入退室をリアルタイムに把握せよ」というものである。その実現のためのツールとしてトレーストゥギャザーが開発・リリースされたのだ。

 ここで特筆すべきなのは、国は確かに人の動きの管理を行ってはいたが、それ以外の具体的な運用は、それぞれの建物のオーナーに任されていたということだ。

 たとえば、各建物の入り口でスタッフがスマホやタブレットを使って一人ひとりをアプリでチェックしているケースもあれば、駅の自動改札のような設備を導入しているケースもあった。自動改札のような設備も、さまざまなメーカーが参入しているように見受けられ、使いやすいものから、故障ばかりしていて有効に機能していないものまで多種多様だった。

 なぜ、このような運用が可能だったかというと、政府によるコロナ対策の方針がフェーズごとに明確に策定され発表されていたからである。たとえば、フェーズごとに「飲食店は夜22時半には閉店しなければいけない」「結婚披露宴は250人以下の参加者で事前検査をしなければいけない」「屋内ジムではグループ当たり人数を最大5人とする」などである。

 そして、各フェーズにおける感染拡大状況の目安や規制が定められており、それぞれのフェーズの期間の目安も定められていたため、国民や企業は「コロナ禍はいつか収束するもの」だという認識を持つことができた。要は、国を運営するためのプラットフォームとしての国民IDがあったことで、現場が政府の方針に基づいて臨機応変に対応することができたということである。

※2 JOHNS HOPKINS CORONAVIRUS RESOURCE CENTER