満足度や幸福度を評価軸に置いた場合、あなたのお金の使い方はまったく違ったものとなってきます。真剣に考えれば考えるほど、満足や幸福を買うことは難しいことに気がつかされるからです。

 10万円が1泊2日で消えていったとしても、10万円を使った以上の満足や幸福が得られたなら、それは決してムダではないわけです(逆にいえば、100均ショップでたった200円使っただけであっても、200円の価値も満足も見つからない出費となればこれこそはムダといえます)。

 私たちは誕生日であったり還暦の記念であったり「イベント出費」については大型出費を許すと思います。これはその出費額が大きくなってもそれに見合う満足や幸せを得られるというイメージを持っているからです。

 親が60歳になったとき、還暦を祝って家族が揃って会食をした時間は、10年以上たったあとでも心に残ります。それが椿山荘で10万円以上の予算がかかったとしても、誰もムダだとは思いません。

「ときどきの出費」「高額の出費」こそ、気持ちよく使って、後にも残るウェルビーイングを蓄えたいところです。

お金を気持ちよく使って
「幸せを買える」高齢者になろう

 モノを買う、サービスを買う、感動や経験を買う、いろんな買い物がありますが、何かを得ようとするとき私たちはお金を媒介に用います。それは現代に生きている限りやむを得ないことです。たいていの場合、お金を多く使ったほうが幸せになりやすいのですが、それも自覚あってこそです。実はこの「幸せを買う」という感覚、高齢者になってくるほど意識したい発想です。

 そもそも若者はお金がありません。20歳代の独身者はやることはたくさんあっても、お金がありません。でも、彼らはお金がないなりにたくさんの感動や体験を手にしています。はじめてのデートは映画代と喫茶店の費用だけで一生ものの経験を手にしています。実に安いものです。

 子育て世帯もたいていの場合、余裕がないままギリギリのやりくりを続けています。

 絞りに絞った家計から年に一度の旅行をやりくりするわけですし、高級旅館に泊まれないほうが多いでしょう。しかし、小学生の子どもと海に行った記憶は値段やサービスの質以上に輝いて残ります。

 ある意味、人生の酸いも甘いも噛み分けてしまったからこそ、年金生活者のお金の使い方は難しくなります。若い人と同じお金の使い方では満足や幸福を感じにくくなっているからです。

 だからといって、お金を貯め込んで死んでも、預金通帳の残高が最後の瞬間を幸せにしてくれるわけではありません。たくさんの幸せな経験、人間関係の積み重ねが、最後に目をつぶる瞬間にあなたの頭をよぎったのであれば、それこそが、幸せな人生だったといえるのではないでしょうか。

 ウェルビーイングをお金で買い集める、というくらいの発想を持っていいのです。

「孫に会いたいから庭にバーベキューできる道具を買って用意した」「残された時間で、まだ一度も見たことがない風景を見たいから、国内の世界遺産めぐりをしよう」でいいのです。

 繰り返しになりますが、ちゃんと満足や感動が得られれば、そのお金はムダではありません。お金を気持ちよく使って幸せを集めてみてください。