ソーシャルメディア、手紙、メールで受ける質問の多くが、パートナー関係における確かさという問題に関係しているようだ。コミットする値打ちのある自分にふさわしいパートナーを見つけたときには、どうやってわかるの?パートナーのことがときどきいやになるのはいけないこと?衝突、いらだち、困難、課題があるときはどうするの?
連絡をくれる人のなかには、結婚すればふたりの問題が解決するかもしれないと思って、結婚を考えている人もいる。つらかったり問題があったりする関係にとどまるのか、そこから逃げるのか迷いながら、離婚を考えている人からもときどき相談を受ける。パートナーとの関係で失敗するのを恐れたり、すでに失敗してどうすればいいのかわからなかったりする若者からも相談を受ける。
「ねえ、ミセス・ミシェル」
アラバマ州で暮らすレキシという若い女性から、少し前に連絡があった。
「男のことでたくさん問題を抱えてて……」
そこから彼女は胸のなかを打ち明ける。
正直なところ、わたしにはこういう質問への答えはわからないし、だれかの個人的な問題に処方箋を出すこともできない。わたしが知っているラブストーリーは、自分で毎日経験しているものだけだ。確かなものへ向かうあなたの道は――そもそもそれがあなたの求めているものだとして――、わたしの道とはちがうだろうし、ホームがどんなもので、だれがそこにいっしょにいるのか、それについての考えも、いつでもあなた独自のものだ。
たいていの人は、親密な人との関係に必要なこと、相手に与えられるものを少しずつ把握していく。みんな練習する。学ぶ。しくじる。多くの人は、早い時期におかしな投資をいくつかする。たとえば、みんなそうするものと思ってステーキナイフをたくさん買いこんだり。
みんなくよくよ悩み、考えすぎて、エネルギーの使い方をまちがえる。悪いアドバイスに従うこともあれば、いいアドバイスを無視することもある。多くの人がそうするように、だれかといっしょにならなくても申し分なくしあわせで満足できると結論を下すかもしれない。その場合は、それをそのまま祝福してほしい――完全に妥当で、うまくいった人生の選択として。多くの人は、自分が育てられたときのまわりの関係――子ども時代に経験した家庭のバージョン――を無意識のうちにまねる。
もちろん、それがすばらしくうまくいくこともあれば、ひどい結果につながることもあるし、その中間のどこかに落ちつくこともある。ずっとつづく本物の愛は、たいていふたりのあいだの領域に生まれるのだと思う。ふたりでいっしょにこの問いに答える。“わたしたちはだれで、だれになりたいの?”