夫婦とは人生の問題に
共に立ち向かうチーム

 だれかと人生を築いてみようと決めたら、その選択に従って生きる。逃げずにとどまらなければならないことが何度も何度もある。

 完全に公平で平等だと両方が感じることなんて、どの時点でもありえない。いつもどちらかが相手に合わせる。犠牲を払う。ひとりは順調なのに、もうひとりは停滞しているかもしれない。片方が金銭面の負担を多く引き受けて、もう片方がケアや家の仕事をこなすかもしれない。

 こういう選択とそれにともなうストレスは本物だ。でも、わたしにもわかってきた。人生は季節のように展開していく。愛、家族、キャリアの達成感が一度にぜんぶやってくることなんてまずない。揺るぎないパートナー関係では、それぞれが代わる代わる妥協して、ふたりのあいだのどこかで共有されたホームの感覚をいっしょに築いていく。

 どれだけ激しく深く恋に落ちていても、パートナーの欠点とたくさん向きあわなければならない。ありとあらゆる小さないらだちと、少なくともいくつかの大きないらだちに目をつぶり、そのすべてに負けずに、愛と忠誠を貫こうとしなければならない――厳しい時期もあるし、混乱も避けられないけれど、そのすべてに負けることなく。できるかぎり頻繁に、思いやりをもってこれをする必要がある。それに加えて、相手のほうにも同じ許容範囲をつくって同じ忍耐力を示す力と意思がなければならない――あなたが背負うあらゆる重荷にもかかわらず、最低最悪のときのあなたの見た目や振る舞いとも関係なく、あなたを愛する力と意思が。

 考えてみたら、実現しそうもない馬鹿げた条件だと思う。実際、いつもうまくいくわけではない(いつもうまくいくべきでもない。傷つけられていたら、その関係からは離れるべきだ)。

 でもうまくいったときには、本物の、正真正銘の奇跡のように感じられる。そもそもそれが愛だ。ポイントはそこにある。長期的なパートナー関係は、実のところすべて頑なな信頼の行為にほかならない。

 バラクとわたしが人生をともにすることを誓ったのは、確実に保証された何かがあったからではない。この先どうなるのか、予想できることはほとんどなかった。わたしたちはまだ経済的に安定していなくて、どちらも奨学金の返済が何年分も残っていた。結果を予想できることなんて、何ひとつなかった。