親子関係の問題は、家庭という閉鎖的な空間で生じるものだからこそ、解決が難しいといえます。
外部の目には一見、理想的な家族に見えていても、実はその中にいる当事者にとっては地獄に等しい親子関係であるケースも多々あります。そして自身の異常な親子関係の体験を訴える当事者に、外部の人は信じてくれないどころか「そんなことを言う、あなたのほうがおかしい」と、さらに傷を深くえぐるような言葉を投げかけてくることさえあり、当事者は自分の苦しみが理解されることはない、とあきらめ、口を閉ざすしかないという現状があります。
自分にとって「害になる親」、つまり毒親からは逃げるしかない、とは言われますが、実際に毒親との絶縁は簡単なことではありません。絶縁してもなお追いかけてくる毒親、周囲からの残酷な言葉……ここでは実際に毒親と絶縁した経験を持つ著者が自身の体験を綴った『幸せになるには親を捨てるしかなかった』から、再構成して紹介します。
境界線を設けよう
個人の境界線(パーソナル・バウンダリー)というのは、関わりのある他人に対して、あなたにとって合理的で安全かつ自由を侵害しない言動を取らせるために作る簡単なガイドラインやルール、あるいは制約のようなものです。
それを定める際には、誰かがそれを侵したときにどのように対処するかも決めておく必要があります。
残念なことに、このような境界線は世間一般では誰に対しても設けてよいとされているのに、家族に対してだけは許されていないようです。
なぜ家族という肩書があるからといって、目こぼしされるのでしょうか。
私たちが属する大きな社会では、自分を育ててくれた人や一緒に育った人に対して境界線を設けるのは冷酷だとされています。それをするのが大人なら尚更です。
こんな通念のせいで、何か嫌なことが起こったときに、今あなたの人生に関わりのある人たちの中で誰に責任があるのか確かめようとせず目を逸らすという、不健全なパターンが出来上がってしまうのです。
そしてあなたは反射的に、自分のせいだと容赦なく自分を責めるでしょう。
境界線を設けさせてもらえないまま成長したことで、自分以外の誰かにも罪があることに気づきもしないかもしれません。
しっかりと強固な境界線を築ければ、縁を切り、距離を保つことができるでしょう。
物理的な境界線は、あなたにとってよいものを内に入れ、悪いものを締め出すことができます。
心理的な境界線は、目に見えるものではありませんが、物理的境界線と同じくらい重要です。
特に家族に対する境界線は曖昧になりやすいので、明確にする必要があります。
心理的境界線とは、あなた自身の感情と他人の感情を分けるためのものです。
おそらく家族は、あなたに境界線を設けられたことを侮辱と捉えるでしょう。
でもそれは、あなたには関係のないことです。
彼ら自身が向き合ってどうにかしなければならない問題です(そんな気はないかもしれませんが)。
彼らがあなたの境界線を侵すのを許す必要はありません。
彼らの気持ちを自分のせいにしたり、自分よりも彼らの気持ちを優先させたり、彼らに責められるのを甘んじて受け入れたり、彼らの問題で責任を取ったりする必要はないのです。
では、境界線はどこに引けばいいか。