8世紀から記録に残る
巨石の正体は!?

これは一体どういうことなのか。この巨石の下は溜池になっていて、水面と石の間には、数十センチほどの空間がある。かがんで覗き込んでみても、その構造はよくわからない。
調べてみると、「石の宝殿」に関する記録の端緒は古く、8世紀に編纂された『播磨国風土記』の中に早くもその記述を発見できる。当時は単に「大石」と呼ばれていたようで、同書の中では聖徳太子の時代に豪族・物部守屋が造ったものと紹介されている。
おそらくは水が張られた溜池の中央に台座が設けられているのだろうと推察するが、クレーンのない時代からこの石造物が存在していることを思えば、どのように設置したのか大いに疑問が残る。ちなみにその威容から、「石の宝殿」には「浮石」という別称が付けられているらしい。

さらに不思議なのはこの溜池、どこかに水路が通じているわけでもないのに、干ばつの際でも水位がまったく変わらない。謎が謎を呼ぶとはこのことだろう。
その構造もさることながら、そもそも何のために造られたものなのか。
あまりにもミステリアスなこの御神体。時にはこんな奇妙な旅の目的地もあっていいのでは?