パチンコ、麻雀、女、酒、タバコを欠かさず、ほぼニート状態の父親。それに母親が共依存するという複雑な家庭環境に育った。14歳のとき、父親が自己破産して失踪。貧しい生活を支えた母親は病に倒れ、半身不随に。苦境のなか、独学で大学に合格、奨学金を得た。そして、兄・成田悠輔がくれた本をきっかけに「起業」を志した。話題の書『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)の著者・成田修造は、体当たりで起業家の道を歩むようになる。本書は起業を通じた人生の指南書で、何歳からでも起業・独立・副業でビジネスを展開するときに必須の内容。これからは会社員であっても、自分で事業をつくれると強い。その思考法とノウハウを全公開する。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
社会不適合の学生時代
相手の意見に納得できなければ、教師であろうがストレートに口に出してしまい、ときには友人に手を出してしまう。
僕は、そのような本当にダメな人間だったのです。
唯一打ち込めたこと
そんな僕が、唯一打ち込んだのがスポーツでした。
もともと小学生の頃に通っていた学童保育がスポーツに力を入れていたことで、僕はいろいろなスポーツが好きになりました。
小学生のときは剣道や卓球に明け暮れ、中学・高校ではバスケットボール部に所属し、ソフトボールやサッカーもよくやっていました。
スポーツに勤しんだワケ
スポーツのいいところは、ルールがはっきりしているところ。
学校と違って、どんな努力をすれば正解なのかが、わかりやすいところが自分の性に合っていたのでしょう。
ただ、スポーツに対しても、僕はプロ選手を目指すほどの情熱を持てませんでした。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。