「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業を規範とする従来の社会は、女性に対して社会的活躍の機会を大幅に制限する一方で、男性を「女性に負けてはならない」「家族を養えてこそ一人前」「男は弱音を吐くな」といった「男らしさ」の達成へと駆り立ててきました。

 その結果、社会全体としては男性が女性に対して優位に立つ仕組みが維持されてきたのですが、すべての男性がそうした「男らしさ」を達成し、あらゆる女性に優越してきたわけではありません。

 男性優位の規範や狭く定義された「男らしさ」の縛りが強い社会は、女性に優越できない男性やそうした「男らしさ」が達成できない男性が、社会の規範と自らの実態とのギャップによって苦しみやすい社会でもあります。

 男性たちはこれまで、そうした生きづらさをもたらしうる「男らしさ」の期待に応えることと引き換えに、男性が社会的に優遇される体制をつくり上げてきました。これら男性たちの生きづらさは、そうした男性優位の社会を維持するための「代償」なのです。

 とはいえ、すべての男性がそうした男性に有利な社会の仕組みから同様に利益を得ているとは限りません。男性優位社会の恩恵にほとんどあずかることなく日々生きづらさに押しつぶされそうになりながら過ごしている男性もいれば、逆に大した苦労を感じることなく男であるというだけで多くの特権を享受している男性もいるでしょう。総体として男性が優位な男女格差社会の内部には、男性内の格差も存在しています。

 つまり、男性たちの生きづらさとは、女性の男性に対する優越から生じているのではなく、男性が女性よりも優越するジェンダー不平等な社会を無理やり維持するために、男性が仕事に偏ったワーク・ライフ・アンバランスな生活と社会的成功や稼ぎ手責任を強いられ、それが少なからぬ男性たちを苦しめている状況として理解することができます。

 だとすれば、ワーク・ライフ・バランスとジェンダー平等の実現こそが男性の生きづらさ解消の鍵なのであり、それによって男性もまた豊かで人間らしい生き方を取り戻すことができるのではないでしょうか。