パチンコ、麻雀、女、酒、タバコを欠かさず、ほぼニート状態の父親。それに母親が共依存するという複雑な家庭環境に育った。14歳のとき、父親が自己破産して失踪。貧しい生活を支えた母親は病に倒れ、半身不随に。苦境のなか、独学で大学に合格、奨学金を得た。そして、兄・成田悠輔がくれた本をきっかけに「起業」を志した。話題の書『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)の著者・成田修造は、体当たりで起業家の道を歩むようになる。本書は起業を通じた人生の指南書で、何歳からでも起業・独立・副業でビジネスを展開するときに必須の内容。これからは会社員であっても、自分で事業をつくれると強い。その思考法とノウハウを全公開する。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

精神を病んでいく母、いったい何があったのか?Photo: Adobe Stock

母親が1人で家庭を支える

僕が14歳のときに父がいなくなった後、家族の生活は母が1人で支えるようになりました。

母は祖母との関係が悪く、母方の親戚から支援を受けられる状態ではありません。

僕は何度も母が祖母から電話越しに怒鳴られているのを耳にしていたので、事情は中学生ながら察していました。

精神を病んでいく母

母は一生懸命仕事をしてくれたものの、家計は苦しく、父とともに暮らした家は住宅ローンを支払えず差し押さえられ、僕たち家族3人は賃貸アパートに引っ越すことになりました。

そうした中、母は徐々に精神を病んでいきました。

少ない収入で育ち盛りの子ども2人を食べさせなければいけないプレッシャーに加え、父が戻ってこないことが母にとって大きなダメージになっていたのだと思います。

共依存に陥った両親

父と母は、決して仲が悪かったわけではありません。むしろ母は、父に対して愛情深く、だからこそ酒やギャンブルなどに明け暮れていた父を見放さなかったのです。

今思えば父と母の関係は「共依存」のような状態でした。

父は生活の多くを母に依存し、そのことに母はいら立ちながらも、それを張り合いにしている状態だったのではないかと思います。

※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。