妻「パン、もう一枚食べる?」
夫「いらない」
もう一つは帰宅後、テレビをずっと見ている夫との会話です。
妻「○○、お風呂に入れてほしいんだけど」
夫「いやだ。今日は疲れた」
どこの家庭でも、これと似たような会話が交わされているかもしれませんが、ここで気づいたことはありませんか? 夫婦ではなくても、仲の良い友人関係であればこの程度の会話は成立するかもしれません。でも、社会人であればふつう、誰かと会話する際に「いらない」「いやだ」といった受け答えをすることはまずありません。
ここで抜け落ちているのは、相手を気づかう心です。
人はみな、他人とのコミュニケーションでは相手に不愉快な思いをさせないように、言葉を選んでいるはずです。実際、言葉づかいひとつで、人の心というのは簡単に傷ついたり、喜びを感じたりするものです。そして、「親しき仲にも礼儀あり」という言葉通り、家族に対してもぞんざいに接していいということはありません。
先の会話では「もうお腹がいっぱいだから大丈夫。ごちそうさま」と返せばいいはずです。「今日は疲れた」のは妻だって一緒なのですから、家事で手の離せないパートナーを見たら、疲れているのはお互い様だし、「子どもと楽しくお風呂に入るよ」と、自分を奮い立たせればいいはずなのです。
家族相手だからこそ
生じる甘えの気持ち
この言葉が出なかった背景には、夫婦という関係性、すなわちパートナーに対する「甘え」があります。つまり、「家族だから、こんな言葉づかいをしても許してくれるだろう」という思い込みのせいなのです。そして、多くの人は夫婦と思うからこそ、相手に対する「義務」のようなものにしばられてもいます。「夫としての義務は仕事」とか「妻としての義務は家事・育児」などの古臭い固定観念にとらわれ、そんな自分に比べると「君(あなた)はできていないじゃないか」と、相手の生活態度などを責める際の材料としてしまうことも多いのです。