荒れて必然の会見の諸条件
しかし「荒らしてOK」ではないのでは?

 井ノ原氏が「子どもたちも見ている。ルールを守りましょう」と会場をたしなめた際に一部の記者から拍手が起き、この拍手がのちに疑問視された。また、加害者側の企業が、“子どもたち”という無垢な存在を盾に取り、訳知り顔で諭す姿に、「どの口が言っているのだ」と違和感を覚えた人は多かった。

 筆者も会見の映像を見てまさにそのモヤモヤを感じたのだが、「自分が記者としてあの場にいたら」と想像して、「決して拍手しない」と言い切る自信はなかった。熱気と怒号渦巻く会見会場で、記者として何かしらの成果を上げて帰りたいけど質問指名を当てられる見込みは薄く、それでも自分を律してお行儀よく座っているのに、進行を無視して不規則な質問を繰り返す記者がいれば、その記者にイライラしたに違いない。それをたしなめてくれる主催側からの一喝があれば、それをありがたく思ったに違いないからである。そして会場を後にして、拍手したことを反省したかもしれない。

 そもそも短い会見時間に多数の参加者、そして1社1問ルールなど、会見の成り立ちからして相当無理があるから、現場は記者が不満を持って荒れるのは当然なのである。

 だが「荒れて当然」であっても、それは「荒れてオーケー」とイコールではない。記者は、会見に参加してその場を成立させる一員となる以上、自分勝手にならずに、どこまで他の記者を尊重できるか、というところがある。「会見の成り立ちがめちゃくちゃだから、記者もそれをめちゃくちゃに破壊していい」とすべての記者が考えて荒れれば、本当に場が成立しなくなってしまう。会見の成り立ちに疑問がある場合は、会見後の記事なりでそれを指摘していけばよく、現に今その流れは形成され、「ジャニーズ会見の問題点」として世間に認知されつつある。
 
 ただ、ジャニーズ側が、意図的に「荒れて当然」の条件で会見を設定し、まんまと記者を荒れさせて、「荒れる記者に責め立てられるかわいそうな私たち」の演出を狙ったのであれば、相当狡猾(こうかつ)である。