パチンコ、麻雀、女、酒、タバコを欠かさず、ほぼニート状態の父親。それに母親が共依存するという複雑な家庭環境に育った。14歳のとき、父親が自己破産して失踪。貧しい生活を支えた母親は病に倒れ、半身不随に。苦境のなか、独学で大学に合格、奨学金を得た。そして、兄・成田悠輔がくれた本をきっかけに「起業」を志した。話題の書『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)の著者・成田修造は、体当たりで起業家の道を歩むようになる。本書は起業を通じた人生の指南書で、何歳からでも組織に頼らず、副業・独立・起業でビジネスを展開するときに必須の内容。これからは会社員であっても、自分で事業をつくれると強い。その思考法とノウハウを全公開する。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
生活のために働く母
「急性くも膜下出血」と診断され、3日間生死をさまよい、担当医から「50%以上の確率で死ぬ」と宣言されたにもかかわらず、幸いにも一命をとりとめた僕の母。
後遺症が残り、半身不随になってしまいましたが退院し、数カ月のリハビリを終えました。そして、食べていくために、「障害者雇用」の枠で仕事を再開しました。
しかし、倒れる前の収入は確保できません。もともと抱えていた家計の問題はさらに悪化し、母の介護も必要になったのです。
「ヤングケアラー」として
食材の買い出しや料理、掃除、洗濯、母の介護など、ほぼすべてを、兄と僕がやることになりました。
兄は母が倒れた2年後には米国留学が決まり、その後は母と僕の2人暮らし。
日常的に家族の介護や世話をする子どもは「ヤングケアラー」と呼ばれ、近年問題になっていますが、まさに僕はそのような状態だったのです。
それでも環境を恨まない
このように父の失踪や母の障害のことを話すと、「辛かったでしょう」と言われることがあります。
でも、実のところ僕自身は「辛かった」と思ったことも、落ち込んだりしたこともなく、今でも両親を恨むような気持ちはありません。
強がりではなく、本当にそう思っているのです。
逆境が訪れたとき
現実を受け入れた
僕にとって家族の問題は、災害のようなものでした。
両親が僕に対して直接何かをしたわけではなく、僕を殴ったわけでもない。ただ僕は、自分ではどうしようもない状況に巻き込まれただけなのです。
そう思えたからこそ、僕は現実を受け入れ、やるべきことをやろうと思えました。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。