分子古生物学者である著者が、身近な話題も盛り込んだ講義スタイルで、生物学の最新の知見を親切に、ユーモアたっぷりに、ロマンティックに語るロングセラー『若い読者に贈る美しい生物学講義』。養老孟司氏「面白くてためになる。生物学に興味がある人はまず本書を読んだほうがいいと思います。」、竹内薫氏「めっちゃ面白い! こんな本を高校生の頃に読みたかった!!」、山口周氏「変化の時代、“生き残りの秘訣”は生物から学びましょう。」、佐藤優氏「人間について深く知るための必読書。」、ヤンデル先生(@Dr_yandel)「『若い読者に贈る美しい生物学講義』は読む前と読んだあとでぜんぜん印象が違う。印象は「子ども電話相談室が好きな大人が読む本」。科学の子から大人になった人向け! 相談員がどんどん突っ走っていく感じがほほえましい。『こわいもの知らずの病理学講義』が好きな人にもおすすめ。」、長谷川眞理子氏「高校までの生物の授業がつまらなかった大人たちも、今、つまらないと思っている生徒たちも、本書を読めば生命の美しさに感動し、もっと知りたいと思うと、私は確信する。」(朝日新聞書評)と各氏から評価されている。今回は書き下ろし原稿を特別にお届けする。
アメリカ大陸で車輪が使われなかった理由
十六世紀にラテンアメリカを征服したスペイン人は、かの地における高度な文明に接することになった。巨大なピラミッドのある壮大な都市はその典型だ。
ところが、その一方で、それらの文明では車輪がまったく使われていなかった。とはいえ、アメリカ大陸で車輪が発明されていなかったわけではない。子どものおもちゃの中には、車輪で走るものも作られていたからだ。
それにもかかわらず、実際の生活では、車輪はいっさい使われていなかった。荷物はラマなどの動物に載せて運んだり、重い石はそりに載せて引いたりしていたのである。
アメリカ大陸の人々が車輪を使わなかったことについては、しばしば二つの理由が挙げられてきた。その一つは、土地の起伏が激しかったことである。
しかし、それは理由にならないだろう。なぜなら、征服者であるヨーロッパ人は、アメリカ大陸で車輪を使うようになったからだ。
もう一つの理由は、車両を引かせる家畜がいなかったというものだ。
しかし、これも納得できる理由ではない。ヨーロッパのスロベニアで見つかった紀元前3150年頃の最古の車輪は手押し車として使われていたものだし、紀元100~200年頃には中国でも手押し車が発明されている。
人間が押すだけでも、車輪は十分に役に立つのだ。
それでは、どうしてアメリカ大陸では、車輪が使われていなかったのだろうか。イギリスのハル大学のローランド・エノスによれば、その理由は青銅や鉄といった金属を使っていなかったからではないか、と言う。
おそらく、石器だけでは、実用に耐える木の車輪を作ることはできなかったのだ。
おもちゃに使う粘土の車輪なら、手で作ることもできただろうが、青銅や鉄がなければ、荷物の輸送に使えるような大きな木の車輪を作ることはできなかったのだろう。
転がって移動する動物
以上の論理は、生物においても当てはまる可能性がある。生物に車輪がない理由としても、地面がデコボコしていることがしばしば挙げられる。
しかし、これも納得できる理由ではないからだ。アジアやアフリカに生息するセンザンコウは哺乳類だが、体が厚いうろこで覆われている。
このゼンザンコウの中には、体を丸めて斜面を転がり下りるものがいる。センザンコウ以外にも、クモやシャコやイソギンチャクやサンゴなども転がることがある。これは車輪とは呼べないかもしれないが、とにかく転がって移動することはできるのだから、「地面がデコボコしているために車輪がまったく使えない」ということはないだろう。
私が知るかぎり、生物で回転構造を持つものは3種類いる。
回転するべん毛を持つ細菌と、細胞の上部が下部に対して回転するデベスコビナなどの単細胞の真核生物と、繊維で作られたラグビーボールのような構造が回転して移動するケラトサイトという魚類の細胞である。
もっとも、これらの回転構造は、すべて細胞内の構造である。もしかしたら、細胞内は、細胞質基質という流動的な物質で満たされているので、回転構造が可能なのかもしれない。
進化の制約
考えてみれば、細胞内の構造であるミトコンドリアやリボソームなどが、それ自身で回転しても、それほど不思議なことではないだろう。しかし、多細胞生物では、そういうわけにはいかない。
回転する部分とその他の部分は、完全に分離した構造になってしまう。細胞内のように、回転する部分とその他の部分が、同じ細胞質基質の中に浮かんでいるわけにはいかないのだ。完全に二つの部分に分かれてしまうのである。
おそらく生物の体は分離できないのだろう。それが生物における進化の制約条件になっている可能性は高い。
多細胞生物で車輪を持つものがいないのは、地面がデコボコしているからではなく、生物の体が分解できないからだろう。
(本原稿は『若い読者に贈る美しい生物学講義』の著者更科功氏による書き下ろし連載です。※隔月掲載予定)
更科 功(さらしな・いさお)
1961年、東京都生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。民間企業を経て大学に戻り、東京大学大学院理学系研究科修了。博士(理学)。専門は分子古生物学。武蔵野美術大学教授、東京大学大学院非常勤講師。『化石の分子生物学』(講談社現代新書)で、第29回講談社科学出版賞を受賞。著書に『宇宙からいかにヒトは生まれたか』『進化論はいかに進化したか』(ともに新潮選書)、『爆発的進化論』(新潮新書)、『絶滅の人類史』(NHK出版新書)、共訳書に『進化の教科書・第1~3巻』(講談社ブルーバックス)、6万部突破のロングセラー『
若い読者に贈る美しい生物学講義』(ダイヤモンド社)などがある。
くつろいで受けられる生物学講義――著者より
ある農家に怠け者の男がいた。男は働くのが面倒でたまらないので、自分の代わりに田畑で働いてくれるロボットを作った。
ところが、ひと月経つと、ロボットは壊れてしまった。仕方なく、男はまたロボットを作った。ところが、そのロボットも、ひと月経つと壊れてしまった。
そこで男は、新型のロボットを作った。新型のロボットは、田畑で働くだけでなく、ひと月経つと新しいロボットを作って、それから壊れた。だから、男は、一日中家で寝ていられた。
そんな折、男は作られるロボットが、少しずつ違うことに気がついた。
たとえば、性能が1のロボットが作ったロボットの性能は、1.1になることも0.9になることもあった。しかしロボットの性能が、急激に変化することはなかった。
そのうちに、たまたまロボットを2体作るロボットができてしまった。ところが、男の家には、ロボットを動かす燃料は1体分しかない。
ロボットは、毎日農作業が終わって家に戻ると、燃料タンクから自分で燃料を入れることになっていた。そのため、農作業が早く終わったロボットが、先に家に戻って燃料を入れてしまう。すると、もう1体のロボットは燃料を入れることができない。そのため、燃料切れになったロボットは、家の隅に転がったままになった。
そんなことが繰り返されていくうちに、ロボットの農作業はものすごく速くなった。生き残るのは、いつも性能が高いロボットだけだからだ。仮に、毎月性能が1.1倍になったとすれば、4年で、ほぼ100倍になる。ロボットは、急速に変化していき、もはや怠け者の男にはコントロールできないものになってしまった。
ついにロボットは、自分で燃料を採掘するようになり、とうとう地球を支配するにいたった。もはや人間の姿は、どこにも見当たらなかった。
以上の話は『若い読者に贈る美しい生物学講義』の中に書いた話(の一部)である。ロボットが2体ずつ作られて、そのうちの1体だけが生き残るなら、そのときの状況に適応している方が生き残ることになる。これは自然選択と呼ばれる現象で、ダーウィンが進化のメカニズムとして見つけたものだ。
この話では、自然選択が働き始めたときに、ロボットの急速な変化が始まった。それは、もう元には戻れないような、根本的な変化であった。この瞬間にロボットは生物になったのだと、私は思う。
これまでは、生物とはどういうものかを考えるときに、物質的な側面から考えることが多かった。たとえば、地球の生物の体のなかでは、いつも物質やエネルギーが流れている。この流れを代謝というが、これを生物の定義の一つとすることが多い。
しかし、宇宙にはどんな生物がいるかわからない。たとえば、ロボットの体の中には、いつも物質やエネルギーが流れているわけではない。スイッチを切って寝ていれば、物質もエネルギーも流れない。それでも、宇宙のどこかに、さっきの話のようなロボットがいたら、それは生物と言ってもよいかもしれない。地球の常識から言えば、金属でできたロボットは生物ではないけれど、それは宇宙の常識とは違うのではないだろうか。
もしも、宇宙全体で生物を定義できるものがあるかどうかわからないが、もしあるとすれば、それは「自然選択」だろう。どんな形をしていようが、どんな物質でできていようが、どんな振る舞いをしようが、とにかく自然選択によって作られたものが生物なのではないだろうか。生物は自然選択によって、周囲の環境に適するようになったものだ。つまり、その環境の中で、なかなか消滅しないようになったものだ。つまり、生き続けるようになったものなのだ。
だから、本来生物は、生きるために生きているのであって、生きる以上の目的はないのだろう。生きるために大切なことはあっても、生きるよりも大切なことはないのだろう。まあ、生きていれば、それだけで立派なものなのだ。
『若い読者に贈る美しい生物学講義』では、従来の生物の見方に収まらない話も盛り込んでみた。
内容を簡単に紹介すると、まず生物とは何かについて考える。その中で、科学とは何かについても考えていく。生物学も科学なので、その限界を理解しておくことが大切だからだ。それから実際の生物、たとえば動物や植物などの話をしてから、生物に共通する性質、たとえば進化や多様性について述べる。最後に身近な話題、たとえばがんやお酒を飲むとどうなるかについて話をする。「講義」という言葉が入っているが、くつろいで受けられる講義にしたつもりである。
楽しんでもらえると、よいのだけれど。
■新刊書籍のご案内
☆6万部突破のロングセラー!!☆
出口治明氏
「ドーキンス『進化とは何か』以来の極上の入門書。」
養老孟司氏
「面白くてためになる。生物学に興味がある人はまず本書を読んだ本がいいと思います。」
竹内薫氏
「めっちゃ面白い! こんな本を高校生の頃に読みたかった!!」
山口周氏
「変化の時代、“生き残りの秘訣”は生物から学びましょう。」
佐藤優氏
「人間について深く知るための必読書。」
生命とは、進化とは、遺伝とは、死とは、多様性とは、生き延びるために必要な生存戦略とは――。本書は、読者に向けて、生命とは何かを平易な言葉で伝える、いままででいちばんわかりやすく、いちばん感動的な生物学の本となる。後半の病気に関連した部分は、医学的な解説ではなく、生物としてどのような現象が起こっているのかを解説する。
生物とは何か、生物のシンギュラリティ、動く植物、大きな欠点のある人類の歩き方、遺伝のしくみ、がんは進化する、一気飲みしてはいけない、花粉症はなぜ起きる、IPS細胞とは何か…。最新の知見を親切に、ユーモアたっぷりに、ロマンティックに語る。あなたの想像をはるかに超える生物学の授業! 全世代必読の一冊!!
きっと、どんなことにも美しさはある。そして美しさを見つけられれば、そのことに興味を持つようになり、その人が見る世界は前より美しくなるはずだ。きっと生物学だって、(もちろん他の分野だって)美しい学問だ。そして、この本は生物学の本だ。もしも、この本を読んでいるあいだだけでも(できれば読んだあとも)、生物学を美しいと思い、生物学に興味を持ち、そしてあなたの人生がほんの少しでも豊かになれば、それに勝る喜びはない。(本書の「おわりに」より)