ミラノの街に変化をもたらした多義性への理解

 フオーリサローネの各地区の動きは、トルトーナと同様に住民やクリエイターたちにより、それぞれ独自の動機と方法で生まれています。注目すべきは、その企画をドライブするものとしてビジネスがあったとしても、企画者たちは「文化」を意識している点です。

 フォイスの次の言葉がそれをよく表しています。

 「ミラノには、ブリアンツァの家具スタートアップの例のように、もともとデザイン文化があったと見てよいと思う。それが時間をかけて成熟してきたともいえ、ミラノのシステムとも称せるボトムアップの文化だ」 

 ミラノに定着するアソシエーション文化は、ミラノのデザイン文化と重なる点が多いといえます。新しい取り組みを始めるに当たり、組織がなかったとしても、ディスコースが基盤としてあり、そこに提案と実践を繰り返す習慣が存在するのです。では、なぜミラノではディスコースが一般化しているのでしょうか。それは、人々の間の何げない雑談にその要因を見ることができます。ここからは強引な見立てという批判を覚悟しながら、考察を進めます。

国や行政主導ではない、ミラノデザインウィークが世界的イベントに発展した本当の理由ディスコースの概念図(連載第3回より)
拡大画像表示

 まず、ミラノの雑談は、トピックスに対する見方や解釈の違いをベースにした気楽な論じ合いから始まります。その根底には、見方や解釈の違いに敏感でかつ寛容な風土があります。それは、物事や状況を多義的に見る文化につながっています。

 例えば、NoLoには「歩道での朝食」という活動があります。この活動は、道路を車や人の移動の空間としてだけではなく、人との出会いの空間とするものですが、この背景に多義性への理解が見て取れます。

 このように、何ごとにも多義性があるという理解があるため、「これって、こういう見方もできるよね?」「これは、別の使い方ができるね!」という発想が生まれやすく、それが雑談につながり、ひいては意味のイノベーションにつながるディスコースに至るのです。

 ミラノデザインウィークがボトムアップによって生まれた背景を見てきましたが、そのベースにある多義性の理解は、前々回で紹介した「テリトーリオ」という、ある地域を行政や自然といった区分だけではなく、経済、社会、文化の共同体という多くの次元で捉える見方とも重なってきます。そう考えれば、テリトーリオは都市と田園地帯を結ぶだけでなく、都市の中においても適用が可能だとする見方も生まれます。

「テリトーリオ」と「多義性を見る文化」の二つの要素は、イタリアの都市再編成と意味のイノベーションをつなげる鍵になりそうです。

【お知らせ】ロベルト・ベルガンティ教授による『「意味」のイノベーション』の特別講座(有料)がオンラインで視聴できます。詳しくはこちらから