パチンコ、麻雀、女、酒、タバコを欠かさず、ほぼニート状態の父親。それに母親が共依存するという複雑な家庭環境に育った。14歳のとき、父親が自己破産して失踪。貧しい生活を支えた母親は病に倒れ、半身不随に。苦境のなか、独学で大学に合格、奨学金を得た。そして、兄・成田悠輔がくれた本をきっかけに「起業」を志した。話題の書『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)の著者・成田修造は、体当たりで起業家の道を歩むようになる。本書は起業を通じた人生の指南書で、何歳からでも組織に頼らず、副業・独立・起業でビジネスを展開するときに必須の内容。これからは会社員であっても、自分で事業をつくれると強い。その思考法とノウハウを全公開する。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

東大合格を5ヵ月で戦略的に目指してみたPhoto: Adobe Stock

アートにはまった高校時代

意外に思われるかもしれませんが、高校時代の僕はアートにはまっていました。

兄・成田悠輔に教わった36冊をきっかけに、読んだ本は200冊を軽く超え、映画は年間100本ほど見て、音楽はロックやクラシック、ジャズなどを幅広く楽しみました。

美術館にも週1回程度は通っていましたが、苦しい家計状況の中で文化的な生活を送ることができたのは、ほぼ図書館のおかげです。

どんな環境でも学べる

自分から主体的に動けば、お金がなくても、どんな環境でも、いくらでも学べると、僕自身が証明しています。

そんな生活を送りながら僕はバスケ部の活動に打ち込み、母の介護や家事もしていましたから、とにかく忙しかった記憶があります。

そうして高校3年生になり、バスケ部の夏の大会が終わった9月からは、一気に受験モードに切り替えました。

5ヵ月で東大合格を狙う

僕の第一志望は、東京大学でした。東大は兄・悠輔の母校で、ときどき僕も授業に潜り込んでいましたが、僕自身は東大に特別な思い入れがあったわけではありません。

ただ、当時の成績からストレッチした目標を設定しようと考えた結果、東大がちょうどよかったのです。9月から5ヵ月間しっかり勉強すれば、合格を狙えると考えました。

漫画『ドラゴン桜』を読んだことのある人はイメージできると思いますが、受験勉強は頭の良い悪いよりも、勉強法やテクニック、マインドセットが大事です。

兄が残した参考書を頼りに

合格という目標に向けて戦略を立て、その通りに実践することができれば、合格を狙えます。

当時はお金の余裕がなかったので、塾に通うことはできませんでしたが、家には兄が使っていた受験参考書がたくさん残されていました。

その中には受験アドバイザーで精神科医の和田秀樹さんの著作もありました。

合格に向けた3つの戦略

そうした本で紹介されていた受験テクニックや勉強法をとり入れつつ、僕は次のように合格に向けた3つの戦略を立てました。

1 目標点数を決めて科目ごとに必要な勉強時間を割り出す
2 点数アップが見込めない科目を捨て、効果の出せる科目に注力する
3 計画通りに進まないときは、プロセスを考え直す

そして、ひたすら勉強に時間を費やしたのです。高校のバスケ部の大会が夏に終わってからは、おそらく毎日12~14時間は勉強していたと思います。

合格点に2点足りず不合格

休日は、朝からコーヒー1杯でカフェに入り浸り、徹底的に受験勉強をしました。

5~6ヵ月の間でしたが、かくして受験本番を迎えたときは、僕としては十分にやりきった感覚がありました。

結果は、惜しくも合格点に2点足りず、東大は不合格になりましたが、今でも当時の僕の目標設定と行動は間違えていなかったと思っています。

受験勉強から得た大きな財産

目標設定というと達成することだけに意味があるように考えがちですが、決してそうではありません。

目標設定からやるべきことを分解し、行動に移すプロセスそのものに大きな価値があり、ときには目標達成そのものよりも大きな意味を持つことがあります。

そのようなことを受験から学べたのは、その後の僕の人生にとって大きな財産になりました。

※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。