予告なしでの創立者と奥様、あるいは創立者お1人での来訪があれば、すぐにわかったものだ。学内が、ぴりぴりした緊張感の中でも、ふわっとした温和な雰囲気に包まれるからである。まず学内のあちこちに制服、私服姿の警備員が立つ。トランシーバーを持つ警備員が、「Tシャツ姿の学生1人……」などと交信している。自ずと学内の緊張感は高まっていく。
だがそうした日は、夜になると、当時メインの学舎だったA棟と呼ばれる建物がライトアップされる。このA棟の7階か8階だったかが、「創立者のフロア」と言われていた。断言できないのには理由がある。そうした表札もなければ、特に大学側から告知されていたわけでもないからだ。ただし、暗黙の了解で、「A棟のうちワンフロアは創立者のお部屋」ということは、学生の多くは知っていたと思う。
夜にA棟がライトアップされる日が続くと、「創立者とお会いできる」チャンスに恵まれ、時に“激励”を受けられる機会もある。だから、緊張感のなかにも温和な空気感が漂うのだ。
「あんパンと牛乳を彼らに」
創立者に見られていた筆者
この創立者がA棟に入られていた際のある日、私はA棟下のベンチで同級生の1人と極めてゲスな話をしていた。すると当時、確か大学の学生部長の役職にあった創価学会員の間では、かなり有名な教授陣の1人である高村忠成法学部教授が、平織りで紺色のスーツ、真っ白のワイシャツ、無地の赤のネクタイ、池田先生のお好みといわれる七三分けの髪形をした30代後半と思しき男性3人を従えて、私たちに近づいてきた。
高村教授に続く男性3人の襟には、小さな金色のバッジが光っている。その立ち居振る舞い、バッジの形状から、創価大学職員ではなく創価学会本部職員であることが、すぐ見て取れた。高村教授が私たち学生3人組に向かって言う。
「あなたたち2人が親しく懇談している様子を、創立者が上からご覧になられていました。創立者から、あなたたちに『あんパンと牛乳を彼らに』との激励をいただきました。おめでとうございます」