入学式で私の前に座っていた女子学生をはじめ、多くの新入生が叫び、手を振る。「センセイーっ、センセイーっ!」。

 この声に応えて、池田氏が両手を大きく広げる。その広げた両手をピースサインにする。この池田のジェスチャーに、新入生のみならず、その父兄たちは歓喜の悲鳴を上げる。感極まって涙を流す新入生もいた。

 それだけではない。入学式にやってきた父兄席からも歓喜の涙声を上げている様子がうかがえた。これを壇上にいる教職員たちは、満面の笑みで見守っている。

創価大に入学することは
池田先生の「直弟子」になること

 当時、その創価大学のウリは、卒入式に創立者である池田大作氏がやってくること、この一事に尽きた。創価大学21期生として入学した同級生のある女子学生の言葉を、今でも私は忘れることができない。

「池田先生を創立者とお呼びしたいから。だから創大に入学したの――」

 学会員たちは、創価大の入学試験に合格することを、池田氏との絆と縁を深め「雲上人」になるためのオーディションと捉えている節がある。創価大への入学、それは学会員にとって「池田先生の直弟子になった」ことと自他共に認められることだからだ。これは学会員たちの間で、東大や早稲田大、慶應大といった難関校への合格や卒業以上のインパクトをもって迎えられる事実である。

 私が創価大学に入学した91年当時、個人情報保護への意識は社会で今ほど成熟していなかった。大学合格者の氏名、時には出身高校まで、新聞や週刊誌に掲載される時代だった。確か私も、合格後、地元紙と創価学会の機関紙である『聖教新聞』に実名が掲載された。これが、それまで「学会さん」とは無縁の人生を過ごしてきた私が、創価学会と関りを持った初めての経験である。

 大学合格後、まだ1週間も経っていない頃、見知らぬ40代くらいの女性数人が、私を訪ねてきているという。聞けば、近所の「創価学会婦人部」(既婚女性の集まり)に属する人たちだった。彼女たちの中でリーダー格と思われる“おばさん”が、口火を切った。